20131009あの日木曜猫足バスタブ 栗須充子(くりすみつこ)はその日ゴミ捨て場にいた。 いや、ゴミ捨て場と言うと語弊がある。 そこは地区一帯全てがゴミ捨て場として利用されている場所なのだから、 そんな言葉で表すととても小さなものに聞こえてしまって仕方がない。 充子が此処へやって来るのは初めてではない。 充子はこの場所が好きだ。 行政上存在しないとされるこの地区は、充子にとっては宝の山に見えていた。 人間はものを捨てたがる。 それが自分に不必要であると思った分だけ、不必要であると思いたい分だけ。 此処にはそういったものがわんさかと溢れているのだ。 まだ使えるもの、価値のあるもの、食べられるもの、生きているもの、 そうやって考えるとまるで充子はその最後のものに分類されるのかと思う程、此処に来ている。 彼女の家は別の地区にちゃんと存在するのだが、 残念ながら其処にいる時間よりも此処にいる時間の方が長いだろう。 そういった意味では、彼女は自分自身を其処へ捨てたがっているのかもしれなかった。 家族もなく、学もなく、だから仕事もない。 住居は全国民に支給されるものだから、困ることはないけれど。 誰からも必要とされない自分を捨ててしまいたい、そう思っても何ら不思議はなかった。 不思議ではないと言うだけで、彼女が本当はどう思っているのかは不明だったけれど。 その日はやたらと酒が見つかった。 どれも良い酒だった。 「こんな良いものを捨てる人がいるんだねぇ。 こちらとしてはありがたいけども、どうしても不思議だよ」 どうして捨てるのだろう? 自分以外の何を持っている訳でもない充子にとっては解けない謎だ。 「ま、今日はこれらで一人、酒盛りといきますか」 大量の瓶に囲まれて充子は笑う。 酒は高いし、仕事もない充子にとっては手の届かないものだ。 だから、こうして飲める機会は素直に嬉しい。 猫足バスタブを拾ってくると、その辺にあった水道やら掃除用具やらで掃除を始めた。 何でもあるのが此処のいいところだ。 電気も水もガスも通っている。 「うい、出来た!」 そうして綺麗になったバスタブの中に収まると、其処で一人酒盛りを始めた。 目が覚めた時、視界の中に天井があったことに驚いた。 あの場所に屋根のある場所はない。 住居は国が管理しているからなのか、今まで捨てられていたことはないからだ。 酔っ払って家まで帰って来たのだろうか、と考えるがどう見ても自分の家ではない。 それに、どこか高級そうな天井で、国の中でも末端に属する第四十九地区にある家とは大違いだ。 「…何処だ、此処」 身体中が怠かったため起き上がらずに寝返りだけ打つ。 とてもふかふかした良い香りのするベッドだ。 記憶を辿る。バスタブに収まって酒を飲み始めて、 その後酒をかぶったり、そのまま散歩へ出たりしたのまでは覚えている。 こうして誰かの家にいるということは、全身酒まみれのまま誰かに会ったということなのか。 そして、酒まみれのままの彼女を家に上げたことになる。 今は何処からも酒の匂いはせず、代わりにやわらかなシャンプーの香りがした。 風呂に入った覚えはないが、入ったのだろう。 此処の家主はそこまで世話を焼いたということになる。 それはまた、不思議な人間もいたもんだ。 もう一度寝返りを打つ。 その時だった。 「起きたのか」 上から声が降って来た。 「…起きたよ」 顔だけをあげる。 短く刈り込んだ黒髪の男が立っていた。 どうやら家主らしい。 「いろいろと聞いても良い?覚えてないんだ」 そう前置きしてから問う。 「君は、誰?」 「私は第五地区の鈴木雅次だ」 「私は第四十九地区の栗須充子だよ」 第五地区とは随分遠くまで来ちゃったな、と笑う。 特に困ることはない。 また戻れば良いだけだ、きっと戻る先は住居のある第四十九地区ではないけれど。 「どうして私は此処にいるの?」 「昨晩酒まみれのお前が私の家の前に座り込んでいてな、 放っておこうとしたらチャイムを連打し迷惑だったので家に上げた。 その際酒まみれで汚いしくさかったので私が直々に風呂に入れた。 何か質問はあるか?」 「質問はないけど謝罪はあるかな」 思ったよりも迷惑を掛けたらしい。 本当に笑いしか出ない。 「本当に申し訳なかった。でも直ぐに出て行くから。 昨日のことは悪い夢だったとでも思ってよ」 二日酔いにでもなっているのか頭はガンガンと痛むけれど、人の家にずっと居座るつもりもない。 ふらふらとしながらベッドから降りようとすると、腕を掴まれた。 「―――あの?」 彼は黙ったままだ。 「えっと…鈴木、さん?」 彼は言葉が見つからない、と言った風に視線を彷徨わせて、結局床を見つめながら吐き出す。 「行くな」 「…はぁ」 充子はそう返すしかなかった。 頭が痛いのも手伝って、そのままベッドにまた座り込む。 これが良くある物語の始まりだったなんて、その時は思いもしなかった。