ねぇお願い、戻って来て、そう願うのは一体誰のため?
ああこんなに、貴方を愛している。
摂氏六度
「…そう」
その話を聞いても、流依は泣き叫びなど出来なかった。
知っていたから、それだけではない。
ずっとずっと、覚悟していたことだったからだ。
「おとうさんの指はどうして冷たいの?」
何も知らないからこそ言える、幼い言葉だったとは思う。
それを責めることはしないけれど。
「指、冷たいままだとおとうさんしんじゃうの…?
しんじゃうって、ずっとずっとあえなくなること、だよね。
それは、わたし、やだ…」
ただ、ぬくもりを求めただけだ。
別段疚しいことはない。
「え、なおるの!?
おとうさんるいと一緒にいてくれる?嬉しい!
…え?
うん、わたし、おとうさんがいるなら何もこわくないよ」
けれど、愚かなことを言ったと、そう思わざるを得ないのだ。
この結果を知ってしまえば。
「貴方、何をするの!」
母親の悲鳴は耳の奥に根を張り、
「こうすれば私は生きられる!
…いや、こうしなければ生きられない!!」
父親の笑顔は瞼の裏に焼き付いた。
「バケモノなんだよ、私も…お前もね―――流依」
その言葉は、流依を縛るのには十分過ぎた。
「…昔の夢なんて、久々に見た、な…」
限界が近付いているための警告だろうか。
まだ人間である部分が、人間である美園流依が、
はやく終わらせようと叫んでいるのかもしれない。
もう二度と、悲劇を繰り返さないために。
「ちゃんと、思い出さないと」
はじまりの記憶を。
ぼろぼろに焼き切れて崩れ落ちた、もう戻らないと分かっていても。
「足掻きたい、だなんて…笑う、かな」
無慈悲に殺してくれるだろう希望は潰えた。
この先は何がなんでも自分でやるしかないのだ。
叶わぬ想いでも。
すべてを正しく終わらせるために。
美園流依を人間のまま殺すために。
「流依ッ!」
ばたばたと慌ただしく病室に駆け込んできた海斗の顔は青褪めている。
「何、海斗。此処、一応病院なんだけど」
聞いたのだろう、と思う。
仮にも流介はこの病院のトップに据えられていた人間なのだから。
事前に準備していたとは言え、
そんな人間が消えたのだからそこかしこがそれなりにバタバタと慌ただしいのだ。
「叔父さんが…」
「うん」
頷く。
「知ってる」
その素っ気ない言葉に海斗は拍子抜けしたようだった。
「…なんだ、悲しんでるかと思ったんだけど」
ぱちり、とその長い睫毛でもって目を瞬く。
「そんなに仲良くなかったのか?」
「まさか」
頬を彩った笑みに、自嘲が入っていなかったとは思えなかった。
「すごく、仲良かったよ」
嘘は、なかった。
美園流依と美園流介は確かにきっと親子で、
それだけではない感情がそこにあったのだとしてもそれでも何かの形に当てはまる親子で、
それが仲が良いという状態なのだろうと流依は思っていたから。
「…今日は、眠りたいから。
悪いけど、帰ってもらっても良い?」
目を瞑る。
少しだけ戸惑ったような空気が伝わって来て、
「眠るまで、いても良いか?」
「…別に、良いけど」
きっとあの緩やかな笑みを浮かべているのだろうと思えば、それを断ることは出来なかった。
「流依」
微睡みの淵で海斗の声を聞く。
「結婚しよう」
思わず目を開きそうになった。
海斗のいる方とは反対の手に力を込めることでやり過ごす。
「勿論、退院したらで良いから。
でも先に、指輪だけ、はめさせて。予約、な」
ああ、だめだと思った。
触れている指はとてもあたたかくて、否、熱い程で、
それくらいに流依の指が冷たくなってしまっているのを、自覚せざるを得なかった。
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20130903