美しいのは、だぁれ。 一曲目 ぱちん。ぱちん。少女が手を鳴らしました。長い睫が音が鳴りそうなほど強く瞬かせて、とてもとても可愛らしい少女は其処に座っていました。白い部屋です。真っ白くて鏡があって、あとは真っ赤なバックが置いてあるくらいで物はあまりありません。ぱちん。ぱちん。少女しかいないその部屋に、その手拍子は響いていきます。まるで、何かを呼んでいるかのように。 ぱちん。ぱちん。ぱちん。ぱちん。少女の小さな、真っ白でふっくらとした手が、赤くなり始めた頃。ガチャリ、とその部屋の扉が開きました。 「ママ」 少女は立ち上がります。 扉の向こうにいたのは、少女をそのまま大人にしたかのような女性でした。少女の可愛らしい雰囲気は抜けて、美しさを身にまとった女性でした。何処か、冷たい印象も受けましたが。 女性は真っ赤なハイヒールをかつかつと鳴らして少女に近付きます。そして、 「ッ」 ぎゅっと。その腕をつねりあげました。 ―――痛い。 少女はもう、そう叫ぶことはしませんでした。だって、そんなことを口にしようものならもっと痛い目に合うのだと、分かっていたのですから! 「貴方は悪い子ね」 歌うような声が少女の耳に届きます。 「悪い子には、お仕置きよね」 「…はい」 少女は知っているのです。返事をしないとどうなるのか。少女は知っているのです。女性のその言葉の後に、自分がしなければならない行動を。 少女はすっと、長い袖をまくりあげました。そこには、赤い小さな痕が古いのも新しいのもごたまぜになってあります。 これが人に見られては困るから、少女はどんな暑い日にも長袖を着ているし、その袖をお仕置きの時にしかまくることは許されていないのです。 「…ほんっと」 女性はその白い肌を強く睨みつけながら、椅子の上に置かれていた真っ赤なバックから針を取り出しました。 「むかつく」 ぶすり、と。その針は勢いよく少女に刺さりました。 *** 馬鹿なのは、どうして。 二曲目 本当のところ、少女はどうして自分がお仕置きを受けるのか、よくは分かっていませんでした。 「アタシ、ママの言うとおりにしてたよ」 ぽつり。女性が出て行った部屋の中で、少女は呟きました。 少女は女性の言うとおりに、大人しく、いろんなものにベタベタ触ることはしないで、部屋を出ることもしないで、ずっと座って待っていたのです。やったことと言えば手拍子くらいでした。女性は手拍子をするなとは、一度も言っていません。ですから、少女はしっかりきっちり、女性の言いつけを守ったはずなのです。 けれども、いつだって戻ってきた女性は少女を悪い子だと言います。 「大人しい子だね」 「可愛いわね」 「良い子ですね」 周りの人は少女をたくさん褒めてくれるのに、女性は少女の何がだめだと言っているのでしょうか。 少女は鏡の中の自分を見つめました。 「―――ママはアタシが嫌いなの?」 にっと笑ってみせます。わざと歯を見せるようなやり方で。それは少女の容姿や雰囲気とは少々ずれたものではありましたが、歳相応とも思える笑い方でした。その笑顔も可愛いね、少女を褒めてくれた大人はたくさんいます。けれども、 「醜いって、このことを言うのね」 少女は呟きました。 「ママはきっと、この顔を嫌いになるわ」 鏡の中の自分に触れます。小さな指紋の痕が、白く残りました。 「また怒られちゃうね」 鏡の中の少女は、少女と同じように眉根を下げて見せました。 ずきり、と胸が傷んだような気がしました。咄嗟に手をあてます。 「………ママと、全然違う…」 其処は平べったくて、やわらかさもありませんでした。いつか、此処がふくらんでくる日が来るのよ―――女性がそう言っていたのを思い出します。 そんな日は、きっと来ない。少女はそう思っていました。 「馬鹿みたいね」 痛い胸から手を離さないまま、少女はもう一度、鏡に向かって笑いました。 *** 醜いのは、なぁに。 三曲目 少女を囲んで、大人たちが言います。 「可愛い子ね」 「将来はきっと美人になるなあ」 「お母さんに似てるって言われるでしょう」 「大人しいのね」 「良い子」 「声もとっても素敵よ」 「ねえ何か歌ってみて」 朝の小鳥のようにその声は少女を侵していきます。言われるままに、女性から大人たちのお願いは断るなと言われているので、少女はその唇を開きました。 歌い終わると、またわっと小鳥が騒ぎ出します。 「とっても上手ね」 「流石歌姫の娘だわ」 「もしかしたらママよりも上手かも?」 笑う、ひと。 やめて、と少女は心の中で叫びました。少女だって痛いのは嫌なのです。そして、これ以上女性に嫌われるのも。 ですが少女の思いが、声にならない言葉が小鳥に届くことはなく。ぎろり、とまるで蛇のような目が、少女を捉えました。 白い部屋に戻って、女性は口を開きました。 「私に似ていると思う?」 少女は首を振ります。 「ママの方が何倍もきれい」 「私より、上手く歌が歌える?」 「ママより歌の美味い人はいない」 その可憐な声で、必死に言葉を紡ぎます。そんな言葉、意味などないのに。何の役割も果たさないのに。 「悪い子には…」 少女は項垂れないように気をつけながら、袖をまくりました。赤く腫れた腕。小さな穴たちは以前よりももっと生々しくなっていました。その中に、ぶすり。また一つ、また一つと増えていきます。 真っ赤だな、と少女は思いました。鏡の中では同じ顔をした少女が見つめてきています。 「何で生きてるの?」 女性がまた出て行った今、その問いかけを受けるのは一人だけでした。 「…ほんと、馬鹿みたいね」 ぽたり。何かの落ちる音がしました。 *** そこにいるのは、なんで。 四曲目 ぶすり。今日もまた赤は増えていきます。 ふっと、女性が息を吐きました。 「ああ、もう」 少女は顔を上げます。 「貴方なんか大嫌い。消えて、しまえば良いのに」 目の前が、真っ暗になった気がしました。 気が付くと、もう部屋の中には少女一人になっていました。女性はいつの間にか部屋を出て行ってしまったようでした。 ―――大嫌い。 「とうとう、言われちゃったね」 少女の声は、今までになく沈んで、それでいて妙に明るいものでした。 今まで―――今まで。少女はそう言われないように、頑張って来たのでした。それだけで生きていたのでした。けれども言われてしまった今、何をする気も起きません。女性の言うとおりにしていることも、出来そうにありませんでした。 項垂れた視界の端で、何やらきらり、光るものがありました。少女は少しだけ頭をもたげて、それを見ました。 銀色。それを認めた少女は立ち上がりました。そして、それを拾ってポケットへと入れます。じわり、先端についたままの血が白い生地に滲んでいく音がするような気さえしました。 言いつけを破って部屋を出た少女は、歌のする方へと歩いて行きました。とても美しい歌声です。女性の、歌声です。導かれるようにして少女はその部屋に入ります。 かたん、一つ音を立てれば、ぶつり、その歌は止まりました。 「ママ」 少女が呼びかけると女性は慌てて笑顔を作ります。なぁに、と優しい声が少女に降り注ぎました。そのふっくらとした胸が、ぷるんと揺れます。 「ママ、あのね」 少女は踏み出しました。ポケットに手を入れて、さっき拾った針を取り出します。 もう女性は少女の目の前でした。少女は針を、まるで捧げるように掲げます。 「アタシは、ママが大好きだよ」 ぶすり。針は、胸に突き刺さりました。 *** そしてアタシは、どこへ? 五曲目 途端、女性は糸の切れたお人形のように崩れ落ちました。少女はその身体を受け止めようとして、受け止めきれずに一緒に倒れこんで、それから口を開きました。 唇を継いで出るのは先ほど女性が歌っていた歌でした。女性が歌を止めたところから、もっともっと、美しいものになろうというように。 誰も、何も言いませんでした。黙って、少女の歌を聞いていました。 最後まで歌い切ると、少女はもぞもぞと女性の下から這い出します。そして、ぱんぱんとスカートについた埃を払って立ち上がると、ぺこり、頭を下げました。 「皆さん。今まで、本当にありがとうございました」 とても、きれいなお辞儀です。 「アタシもママも、此処にいれて本当に良かったと思っています。皆さんがいなかったら、そうは思えなかったと思います。ありがとうございました。感謝しています」 にっこり笑った少女に、誰も何も言いません。 少女は女性の頭を持ち上げました。重たいのか、よいしょ、と少女は呟きます。ぐりん、と首だけが持ち上がりました。女性は、何も言いません。ただ目を閉じてお人形のように、少女にされるがままになっていました。 「ママ、ママも挨拶しなきゃ。挨拶は大事だって、ママ、言っていたでしょう?」 揺すっても揺すっても、女性は答えません。胸には針が刺さったまま。 「ママ、どうして? これがママの望んだ結果でしょう?」 耳元でそっと囁いた言葉にも、女性は答えませんでした。 誰かが、震える声で少女を呼びました。 「はい」 少女は元気よく返事をして、顔を上げます。 ずどん。 重たい音がしました。少女は一瞬驚いたようにその大きな目を、更に大きく大きく見開いて、そして理解したように微笑みました。 「―――さよなら」 *** title by cocco 20140927 |