夏の記憶
紫乃さまとのコラボ小説 お題「ギター」「隣同士」
「新聞、見たよ」 背後から声がした。 振り向けば、そこに居たのは自分のクラスの学級委員。 押見は机を片付ける手を止めた。 「そうか」 「…知ってたんでしょ?終了式の日には、もう」 伊達眼鏡の奥の光が、怖くて直視できない。 押見は俯く。 悪いことをしているつもりはないけれど。 「知ってたよ。校長から直々に話があったんだ。 俺の能力をかってるから、とある有名校に行かないか、って」 ちらり、とギターが脳裏を掠めた。 「池内、教員なんてそんなもんなんだよ」 押見がこの学校に来たのは、ちょうど一年前のことだった。 優等生ばかりで、息の詰まる学校。 それが、押見の抱いた感想。 昼休みも、パンを片手に勉強をする生徒を、 職員室からでも目に入れるのが痛々しくて、校長に無理を言って鍵をもらった。 目指したのは、屋上。 きっとそこなら、この息苦しい空気から逃れられる。 そう思ったから。 しかし、そこには先客が居た訳で。 「…押見先生?」 「えと…池内?」 池内加世子という人間は、百点満点の優等生だった。 成績優秀、容姿端麗、非の打ち所がない人間。 ただ、その日本人離れした容姿―――茶色がかった髪や、色素の薄い瞳が、 人を寄せ付けない空気を放っていた。 「何でここに来たの?」 池内は弁当を広げるでもなく、そこに座っていた。 「…お前は?」 「―――苦しくて」 押見は少ししてから、池内の横に腰を降ろした。 「何か言わないの?」 「何か言って欲しい?」 言う言葉が見当たらない。 優等生の病的な一面を見たことに対する文句だろうか。 でも押見はそんなことは思っていない。 かつての自分と重なる。そして、今も。 「この学校はみんな優等生で、見てるこっちが切なくなるわ。 憂さ晴らしにでも、ギター弾けたら良いのに」 自分も同じ考えだと示してみる。 敵じゃないんだよ、と手負いの野生動物に懸命に語りかけるかのように。 しかし、池内の食いついた所は違った。 「押見先生、ギター弾けるの?」 「…弾けるけど?」 「私に教えてくれない?」 「え?」 思わず声を上げたら、池内は笑った。 「私、軽音部だよ」 次の日、屋上に顔を出してみたら、昨日と同じように池内が居た。 ―――ギターを抱えて。 「ギター買ったけど、いまいち弾き方がピンと来なくて」 「本当に教わる気かよ」 「なんか心配してる?」 顔を覗き込まれた。 「安心して。 この時間は放送掛かってて、外の音ってほとんど聞こえないから」 そんなことを女子高生に言われると、自分の倫理的な何処かが過剰反応しそうだが。 「これはなぁ…」 そうして始まった、放課後の屋上個人レッスン。 「お前…不器用だろ」 「分かってること言わないでよ」 生徒と教師の壁が、失くなったような錯覚。 「一ヶ月で、真面に弾けるようになるかな」 「お前次第だよ」 池内は上達はそれなりだった。 日が照りつける。 もうすぐ、夏が来ようとしていた。 それは、夏のある日。 「先生!弾けるようになったぜ!!」 「うわ、押見早ー」 「先生と一緒にすんなよ!」 病弱だった自分をギターという道具で、世界に引っぱり出した人。 「先生って何でこんな平凡な学校にいんの?」 「え、何、突然」 「俺は先生、すごい人だって思うよ?」 「え、例えば?」 顔を覗き込まれた。 「…内緒」 反射的に誤魔化す。 「教えてくれたって良いじゃん」 「…綺麗なとことか?」 本当は、その存在自体がすごいのだけれど。 先生は顔を輝かせて、 「ありがとう押見!」 頬に接吻けた。 「何すんだよ!」 「俺の故郷のお礼。てゆか、俺ハーフだし」 「だからそんな日本人離れしてんのかよ…」 茶色の髪を引っ張ってみる。 「痛い!押見痛いよ!怒ってるの?」 わざと答えないでおいた。 本当は、怒ってなんかいなかった。 顔が近かったのも、お礼のキスをされたのも、嫌じゃなかった。 「先生、俺、入院することになったんだ」 三学期末。 高熱の中、ただ声が聞きたくて学校に電話をした。 『…え?』 多少ふわふわしてはいるけれど、間違えることなんて出来ない、先生の声。 少し低い感じがしたのは、驚いているからだろうか。 押見は公衆電話に頭を押しつけた。 ああ、冷たくて気持ちいい。 でも、本当は、先生の声が聞けてるだけで、十分。 「今日病院連れて来られて、そのまま…」 ギターも取り上げられて、 だけど、先生との繋がりが切れるなんて、思いたくなかったから。 『………そうか』 その間の意味に気付ければ良かった。 「新学期、会えるの楽しみにしてるよ」 頭がぐらぐらして、受話器が落っこちた。 先生の返事は、聞けなかった。 「―――…ッ!!」 春休みが終わる頃にやっと退院して、新学期に学校に行けば、彼の姿はもうなくて。 「池内先生?あぁ、異動になったんだよ。新聞見なかった?」 裏切られたような感覚があった。 同じことを、きっと、くり返す。 夏は変わらずに遣って来た。 押見と池内のギター教室はまだ続いている。 「お前、覚えるの速いな…」 「まぁ、記憶力だけが取り柄だからね」 「そんなことないだろ」 押見がそう言えば、池内は不思議そうな顔をした。 「もっと池内にはたくさん、良いところあるよ」 「例えば?」 「―――」 一瞬、フラッシュバック。 「…内緒」 「え、何それ!?」 「自分の長所を探すのも人生だ!」 「訳分かんなーい…」 苦笑する顔も重なってしまう。 押見は池内から見えないように、手の甲を抓った。 明くる日、押見が屋上に顔を出すと、池内は壁に寄りかかっていた。 「池内?」 そっと名前を呼ぶ。池内は眠っていた。 「…疲れてんのかな」 押見は小さく言うと、池内を見つめる。 池内は奇麗だ。 今は閉じられているけれど、色素の薄い眼は宝石みたいだ。 本人は気に入らないみたいで、伊達眼鏡をしているが。 睫も長い。 その髪もあの人より黒に近いけれど、やっぱり綺麗で。 「…ん」 気付いたら、触れていた。 「…先生?」 「あ、池内、ごめん…」 慌てて手を離せば、池内は少し考えてから笑う。 「押見先生なら、触られても良かったのにな」 「そういう対応に困るような発言は控えてくれ…」 押見は溜息を吐いた。 「あのね、先生。私、夢を見たの」 「どんな夢?」 押見はチューニングをしながら聞く。 「父さんが私にキスをして、遠くへ行っちゃう夢。 あ、父さんはハーフだから、親愛のキスとかは日常の人だったんだよ」 「じゃお前はクォーターなのか」 「ん、そういうこと」 だから、池内はあの人と同じ奇麗さを持っているのか。 チューニングし終わったギターを渡す。 父親の行方は聞かなかった。 池内の家庭調査票には母子家庭と書いてあったから、聞かない方が良いと思った。 「そう言えば、先生は何でギター弾くようになったの?」 今更のように池内が聞いて来る。 「中学の時の恩師がな、ギターで俺を元気付けてくれたんだ」 「へー」 「その頃の俺は病弱で、」 「え、信じられない!」 押見の話を遮って、池内が声を上げた。 「ひ弱な押見先生とか、想像つかないよー」 けらけらと笑い転げる。 「………。まぁいいや…。 病弱で、体育とかはもちろん、 休み時間外で遊ぶことも学年レクとか運動会とか、全部参加出来なかったんだよ。 どうせ俺は外にも行けないし云々…って拗ねてたら、その先生がギター教えてくれたんだ」 「担任?」 「うん」 「そっかぁ」 池内は足を伸ばすと、 「なんか、私たちみたいだね」 とても嬉しそうに笑った。 それからも、押見と池内の練習は途切れることはなかった。 雨の日は屋上の扉の前で。 それは義務のようであり、思い出を塗り替える行為のようにも思えた。 終了式の日も、池内はやって来た。 「これ弾きたいんだけど。練習できる?」 「…これ?」 池内が持ってきた楽譜は、少し前に流行った恋の唄だった。 あまりに池内のイメージと合わなくて、押見は思わず聞き返す。 「部活の子が、合わせようって」 はにかんだ顔。また… 「そっか」 池内が部活に馴染んだのは嬉しいことだった。 自分のクラスの生徒として、やっぱり馴染まないというのは不安があった。 …もうこれで、思い残すことはない。 「押見先生」 気付けば、池内に見つめられていた。 「…なんだ」 「来年も、よろしくね…?」 消えそうな声が、胸を穿つ。 「―――そんなことより、練習やるぞ」 ばれないように。 そう、あの人と同じことをくり返そうとしていた。 「ギターはもう、弾けるだろ」 「…一人で弾いても、楽しくないよ」 「部活で合わせるんだろ。一人じゃないよ」 机を片付ける手を再び動かし始める。 会おうと思えばこれからだって会える。 でもあの夏を思い出してしまったら。 「お前はもっと自分を、見た方が良いよ」 それが最後の、担任としての言葉だった。 あとがき(反転) 一回書いたあとがき全部飛びました…(泣 「蒼夜月下」以来のあとがきです。 ただの語りになります← まず、言っておきたいのは、この小説は僕が多くを語らない方が、 よりたくさんの人に楽しんでもらえるのではないか、ということです。 これには謎を入れ込んであるので、そこが小説の核?となっているのではないかな…と。 (それが「読者任せ」と言われるところなのですが) 今回は紫乃さんからのコラボのお誘いで お題を「ギター」と「隣同士」に設定しての挑戦でした。 「ギター」はちゃんとクリアしてるように見えますが、「隣同士」は大丈夫でしょうか… 押見と池内の距離が「隣同士」と表すのに丁度良いかな、なんて思いながら書きました。 さて、言っておかなくてはいけないことがもう一つ。 この小説に、“びぃえる要素”は入っていない、ということです。 僕の中には、「“好き”というのは必ずしも恋愛感情ではない」という考えがあります。 友達、恋愛、尊敬、敬慕、只理由もなく大切な人…と言ったように。 そういった微妙な感覚を表現したかったのですが、うまくいったでしょうか? 「ただ、好き」という感情を、子供であるなら尚更、 持て余してしまうことがあるのではないかと思います。 そんな風に揺れ動く感情を、一概に「恋愛だ」と決めてしまうのではなく、 この時この人はどんな気持ちで、 この人のことを考えているのか?と言った細かいところを、 登場人物たちと一緒に考えてもらえたら幸いです。 では、長くなりましたがこの辺であとがきを終わらせていただきます。 長々と読んでいただき、ありがとうございました。 皆様の夏が、いつか振り返られる、綺麗な思い出になりますように。 もりわき