20120926もくまおう 光のような人だ。 大井と出会った時、私は確かにそう思った。 暗がりでひっそりと存在を消すように生きてきた私にとって、 仄暗い思考を持ちながらもそれを隠し立てせず、堂々と生きている大井は、 あまりにも驚きに満ちていた。 「ドーナツ半額だって。寄る?」 登校は別々でも下校は一緒だった。 「寄る寄る」 甘いものを食べに寄って、そうして談笑する。 大井と出会ってからの私はきらきらした毎日を送っていた。 それは私の憧れていたもので、同時に手に入らないと諦めていたようなものだった。 その日から大井は私の宗教になった。 「…無理、してない?」 「何故?」 時折大井は私に聞いた。 「もしかして、私に予定を合わせてくれてるのかと思って」 「まさか」 休日も放課後も、私のやるべきは課題くらいで、 やりたいことも読書や図書館、美術館めぐりくらいだった。 そもそも人と関わるのは苦手だったのだ。 「無理だったら無理って言うよ、それくらい私にも出来る」 無理なんてことがないから無理だと言わないだけなのだ。 私の世界は大井だけだったのだから。 それを聞いて大井は安心したような、でも泣きそうな顔をしていた。 何故そんな顔をするのかは聞けなかった。 きっと話したかったら話してくれる、だって友だちってそういうものでしょう? 世界を知らない私はそう思っていた。 友情とは美しく、それでいて頑丈なものだと思っていた。 私の世界は大井だけで、その定義に当てはまるのも大井だけで、だから矛盾など生じなかった。 歪んだまま生きていけた。 けれど、その世界は突如崩壊する。 切欠は、美術の時間だった。 授業の一環で描いたその絵を褒めてくれたのは、大井でなく別の人間だった。 彼は秦野と名乗った。 美術部員らしい。 もし良ければ、と美術部に誘われた。 最初は怖いだけだった。 何故話したこともないクラスメイトに彼はこんなに親しげに話しかけられるのだろう。 断った。 けれども、秦野は私が素直に頷くとは思っていなかったらしく、 とりあえず見学だけでも、と粘った。 その粘り具合に結局私は折れた。 悪い人間ではなさそうだと判断もした。 美術部は別世界だった。 先に秦野が何か話を通しておいてくれたのか、 挙動不審に隅っこを回る私を誰も邪険にはしなかった。 「今はこういうの描いてる」 秦野は照れくさそうに描きかけの絵を見せてくれた。 素敵だと思った。 素直にそれを言葉には出来なかったが、瞳は雄弁だったようだ。 「君の絵をもっと見たいし、人にこんな絵を描く人がいるんだって知ってほしい。 だから、美術部に入って欲しいけど…だめ、かな」 後ろから部員たちの興味深そうな視線を感じた。 それは秦野と居るからよりも、秦野の言った絵についての興味らしかった。 そして、私はついに部活動に所属することを決めたのだ。 それから先は、今までにない程きらきらしていた。 コンクールで賞をとったりとか、そういったものはなかったけれど、 好きなものについて意見を交わし、 休みの日には部活動の一環として美術館へ行ったり、美術関係の本を読みあさったり…。 青春とはこんなことを言うのだろうな、と思った。 きらきらするに反比例して、大井と居る時間は減っていった。 気にならなかった。 大井はもうこの時既に、私の世界ではなくなっていたのだから。 あっと言う間に時は過ぎて進路を決める時期になった。 私は美術系に進むことを決めた。 絵一つで生きていくことはしないにしろ、もう少し勉強したかった。 秦野もまた、学校は違えど美術系を狙うようだった。 秦野には友情以上のものは抱かなかった。 私はもう、何かを崇拝しなくても生きていけるようになっていた。 大井の進路は知らなかった。 もう一年以上も連絡を取っていなかった。 私は知りたいとも思わなかった。 世界は広がって、私はたまごから生まれてしまった。 卒業してからも秦野や後輩とは連絡を取るのに、大井とは取らなかった。 ただ単に、必要性を感じなくなってしまったからだ、楽しくなくなってしまったからだ。 電波の悪いマンションの一室で電話を取る。 少しでも繋がりが良くなるようにベランダへ出る。 後輩からだった。 私の通う学校に見学に行くから、出来たら案内して欲しいという内容だった。 「良いよ」 私は答える。 後輩は私に憧れていて、出来たら同じ所に入りたいのだと恥ずかしそうに続けた。 私は嬉しいと伝えた、そして続ける。 「でもね、学校は自分に合う所をちゃんと選ぶんだよ。 人の真似だけじゃ、だめだからね」 後輩はちゃんと分かっていたようで、はい、大丈夫です、と答えた。 「世界は、広い方がきっと自由で居られるからね、私はそれが心地好いから」 ちょっと狭い方が好きかもしれない、と後輩は電話の向こうで苦笑した。 三日月の綺麗な夜だった。 image「もくまおう」cocco