花のないまち
それを言うのは今更すぎた。 ばかじゃないの、何処か頭の足らないような声が耳の裏でしている。 わんわんと響く泣き声、はやく戻れば、今なら間に合うわ。 まるでゆるゆるの脳みそから一つずつ、 何かを絞り出してそのままあめ玉に凝縮してやったような声。 けらけらけらけら、 馬鹿の一つ覚えみたいに笑い続ける春の名残を、あたしは一度だって忘れたことはない。 「津嘉山さん」 少女の見目はとてもとても、そうだ、尊いくらいに麗しかった。 童話の中に出てくるお姫様みたいで、 ああ、あたしの傍なんかにいるのはひどくひどく、けれどもあたしは知っている。 彼女が、端麗で今にも死んでしまいそうな彼女が、こんなあたしを愛していることを。 けれどもあたしにとって、その鈴の鳴るような声は毒だ、猛毒だ。 いつだってこちらを狙っている、そんな蛇のまなこに晒されたような気分にされるのだから。 餌だ、餌。 腹を満たす以外の何者でもないあたし。 嚥下されたらすぐ忘れられて、それだけの存在で。 そうでなくてはいけないはずなのに。 「愛してる」 美しい唇でそんな言葉を紡がないで。 可笑しくなる、声を上げる。 あたしはあたしはあたしは。 それを慈しむかのように彼女は近付いてくる。 重なる。 温度も分からなかったのは触れるだけだったからか、 それとも訪れる春の所為か、飛行機のエンジン音が五月蝿いからか。 「貴方はいつだって代替品にしかなれないのよ」 優しく頬を撫でたそんなばらいろの指にいつ棘が刺さるのか。 あたしはそれを心待ちにしている。 この胸から黙々と生える茨が、眠ってしまった彼女を覆い尽くすのを。 ―――卒業はこわいことね。 そう嘯いてみせたその声はひどく軽々しくて、 あたしはゆるく目を細めてやることしか出来なかった。 ―――こわいって、どうして。 ―――どうしてでしょう。 ―――どうしたら怖くなくなるの。 ―――しんだら? 道端を這う蟻を拾い上げ、水をはったバケツに落とすような。 やっとのことで土を持ち上げた、霜柱を片端から潰していくような。 そんな悪意のない笑みで、些細な悪戯をするように、 彼女の言葉は非道く酷く、何処までもこどものようだった。 こどものように純真で、それ故にむごたらしかった。 それにあたしはそう、と答えたのだろう。 そうして見てしまったのだ、彼女の眸の奥底に沈む兇悪を。 うつくしい彼女がみにくいものになりゆく、その片鱗を。 あたしはそれが耐えられなかった、だからただ、一言発した。 「しね」 そうして桜の散る道をあたしはただ猛然と走っているのだった。 飛行場まではもうすぐだ、どうせ荷物なんてない。 もともと身一つだったのだ、何も大切なものなどないのだから。 背中に背負った泣き声はいつの間にか何処かへ落としてきたようだった。 肩が軽かった。 あたしはずっと願っていた、 彼女がいつまでもいつまでもこどもで、しかし盲目でなくあたしを映していることを。 彼女の唯一ではいけなかった、唯一では満足が出来なかった。 あたしはそれを言葉には出来なかったけれど、彼女は確かに分かっていたはずなのだ。 頭はひどくゆるゆるとしていて、その足だって誰に開かれたかわからないものでも、 彼女はその美しさが頭脳にまで達していたはずなのだから。 もう一度声を上げた。 あたしはあたしはあたしは。 ―――もど、 唇を噛み締める。 血の味がする。 「津嘉山さん、ほうら、こっちが正解だったのよ」 ぬるい初夏の風があたしの首を絞めていった。
イメージSS はなつかさん image song「正しい街」
20140920