05410-(ん) ドアが閉まる音がした。 僕は視線を力なく落とした。直前の会話など、思い出したくもない。彼女の目に浮かんでいた透明な滴だけが、心を占拠している。 「…何で、泣いたの」 僕の問いに答える人はいない。 泣かれるくらいなら、いっそのこと、嫌ってもらった方がマシだった。彼女が僕を嫌いになったというなら、それで僕は納得出来たのに。 「訳、分かんね…」 涙が、あの泣きそうな顔が、瞼の裏に張り付いて。忘れることすら、許そうとしない。 それでも日常は至って普通に進んでいく。彼女がいないなんて、嘘のように。いつものように薬を用意して、水で流し込む。すぐに、眠気が襲ってきた。携帯を開いて、送り慣れた彼女へメールを打っていく。 『きっと眠ってるから、迎えに来て』 彼女はいつも薬に頼らなくては眠れない僕を、優しく起こしてくれた。彼女がいたから、僕は安心して眠りにつくことが出来た。送信ボタンを押そうか迷って、結局終話ボタンを押してしまう。 もしも、返事が否定のものだったら、どうしよう。僕と彼女を繋いでいた関係は崩れて消えたのだ、それが何をもたらすか、僕は分かっている。僕がどれだけ嫌がったとしても、彼女は僕を過去にする。恋人でも友人でもない、別の何かに変換してしまう。 それでも僕は考える、答えが出ないのを良いことに。否定の返事が返ってきたら、僕も泣けば良い? それとも死んだ方が良いのかな。がむしゃらに飛び降りてみるのも良いかもしれない。…それとも、ドンマイって自分にキスでもしようかな…。 止まらない思考の海に呑まれるように、僕は眠りに堕ちていく。きっと、最初から僕が願っていることなんて、一つしかないんだ。 君が迎えに来てくれるまで、深い闇に溺れ続けていれば良いのに。 * 20130228 * title by RADWIMPS *** カゲロウデイズ 八月十五日、午後十二時半。 「…まァ、夏は嫌いかな」 「暑いですもんね」 暑い。 「それだけじゃねぇよー」 「眩しいし?」 ふざけている程晴れている。 「お前それ年中言ってるだろ」 「だって苦手なんですもん」 ひょい、とずっと先輩の腕の中にいたネコが飛び降りる。よくもまぁ野良の癖にこんなに長い時間人の腕の中にいたものだ。 「―――あ…」 残念そうな顔。 「猫、行っちゃった」 「そんなに好きでしたっけ、ネコ」 「うーん」 曖昧に返しながら先輩が立ち上がる。 「待てー」 無邪気に追いかける背中が可愛らしいと思った。 そんなほんわかした感情はすぐに砕け散って。 ―――ア、赤。 人間、予想外の出来事に遭遇すると声が出ないらしい。 既視感、陽炎。暑さか先輩の香りか、頭がくらくらする。蝉の音がわんわんと鳴り響いて、劈くような音が遠くみたいに聴こえて。ぐるぐる掻き混ざって、それだけ。 はっと目が覚める。じっとりと纏わり付く嫌な汗に、時計の針が苛むように。深呼吸を繰り返して落ち着いたのを確認して時計を見た。午前十二時過ぎ。 「…なんだ、夢か」 ほ、と息を吐く。嫌な夢だった、忘れたいな。そう思って二度寝したが、その願いは叶えられなかった。 夢と、同じ公園。予知能力なんてないけれど、おんなじことが繰り返されるなら、黙って見ている程馬鹿ではない。 「猫、行っちゃった」 「…そんなに、好きでしたっけ、ネコ」 「うーん」 曖昧に返す先輩の手をぱしっと掴む。 「何、どうしたの」 「ネコ、追い掛けるんですか?」 「え、だめ?」 「だめじゃないですけど」 「じゃあ離してよ」 「やです」 そのまま先輩を引きずって公園を出る。とりあえず、これで先輩はトラックには引かれないだろう。そんなふうに安堵していて、周りの反応には全く気付かなかった。いつもなら、不自然に上を見上げた人々に気付いただろうに。 どんっと、押されたのを感じた。え、と前のめりに倒れながら後ろを見やれば、 「せん、ぱい…?」 笑った顔。何で、どうして、痛いでしょ、何で泣き叫ばないの。周りの悲鳴と風鈴の音、葉を透かす夏の光が眩しくて眩暈がする。先輩の所だけわざとらしく陽炎が邪魔して、何も見えない。 暗転。 それからも地獄だった。何度繰り返しても、違う行動をしても、ありとあらゆる方法で先輩は死んでいく。この人一人で人間が死ねる全ての方法を網羅する気なんじゃないかってくらいに。そう、だから、本当はとっくに気付いていた。ただちょっと、怖かっただけ。 いつもの会話、ネコを追いかけようとする先輩。それを遮って先に走り出す。馬鹿みたいに、 「待てー」 なんて、あの日、最初の先輩を真似して。 「先輩は助けようとなんかしないよ」 痛みなんか感じない、ただ身体の軋む感覚だけ。つらくもない、先輩を守れるのなら。 「ざまぁみろ」 ああ、これで終わる。安堵にも似たそれを感じながら、目を閉じた。 蝉の声、目を開ける。…何で、また、八月十四日? どくどくと心臓が嫌に聴こえる。終わると思ったのに。同じ世界を繰り返すのは何とかして打開策を見つけなくちゃいけないからじゃないの。一番最初の夢を思い出せ、先輩はどうして轢かれてしまった? ネコ、黒いネコ、それを無邪気に追いかけていった背中。 ―――無邪気に? 自問自答、そして浮かび上がる会話。 そんなに好きでしたっけ、ネコ うーん 好きでもないネコを、わざわざ追いかける先輩。 「…終わらない訳だよ」 嬉しいような悲しいような。この感情に名前なんて付けられない。 何度も、何度も見た公園。大嫌いになりそうな公園。でもありがとう、最後に好きになれそうだよ。 「先輩、大事な話があるんです」 笑え、それで終わりにしよう。 「ずっと黙っていたけれど、先輩がこの世で一番だいっきらいなんです」 呆然とする先輩の腕からネコが飛び降りる。 「…あっ」 「あ、ネコー」 ここからは全開と同じことをすれば良い。これで、きっと。 痛くない、さようなら、ありがとう。 ―――だいっきらい、なんて、嘘、ですよ、先輩。 八月十五日。 「…馬鹿、嘘吐いてんのバレバレなんだよ」 いつの間にやら寄り添う黒猫に、 「まただめだったよ」 悲しそうに笑ったのは誰。 * 20130228 * title by じん *** 化石のきみ 君が愛しているすべてを僕は愛せない、それが悲しくて悲しくて泣いてしまってその涙がまるで宝石のように君を閉じ込めて永遠にしてしまって、そんな過去を僕はじゃがいもの表面を見つめながら思い出す。誰だって一人は怖いから、きっとまた君に会いに行くけれど、きっと君は僕のことなど嫌いだろうから僕の顔など見たくはないのだろうね。僕は知っているよ、ちゃんと分かっている。君がさいごに言ったばけもの、という言葉はちゃんと僕に届いていたよ。 *** 世界の終わり 君がいなかったら良かったのにな、なんて夏の終わりだからって言えないことを君は知っている。だから君が僕を愛しているなんて世迷言を言えることを。 「だって君が死んだらそれで物語は完結だ」 完成だ、とは言わなかった。そうは思わなかったから。箱詰めされたものは何だって美しく見えてしまう。それが本当かどうかも分からないまま、箱詰めされている時点で美しいものだと認識してしまう。 「でも、私は君を愛しているよ」 それが箱詰めされても美しくなれないことを知っているよ。 天使のような笑顔で君は言う。誰だって悲しいことくらいあるのに、君はその一切を朽ち果てさせたように、言う。 *** ピジョン・ブラッドの逝き先 私が処女でないことを目の前の男に知られたくなくてただ只管に真っ白な鳩から目を逸らす。いつか聞いたはなし、話半分だったはなし、もっと真面目に生きていたらこんな場所には座っていなかったかな。私がもっとお淑やかで何にも屈することをよしとしてただ何も持たないで私を持たないで、そうしたらあの鳩のように首元を裂かれて、ああ、そういう話だったっけ? もう分らないの、判らないの。ただ分かるのは目の前の男がこれを許さないということだけ。 私は今日死ぬというだけ。 *** きらきら、星屑は真珠になるよ 君がいつだって何処かに行く機会を探しているのを知っていた。僕がうろちょろとそのあとをついていくから君が仕方ないなあ、と言って諦めるのも。踏切の音がする。世界があかく、染まっていく。 「ブルーアワーって言うんだって」 君が小さな僕の手に縋るようにして言った、その名前を一生忘れたくはなかった。 僕の目にはあかくしか映らない世界のことを、その中で唯一かがやく君が自分のために泣いていることが、僕にとってはとてつもなく美しいことのように感じられた。 *** 僕のために死んでよ 君が信じているものがたとえば僕にとっての敵であったり、敵でなくても嫌いなものであったり、そういうのってそんなに珍しくないことなんだけど、君はそういうのがまるで存在しないみたいに言う。だから僕は少し悲しくなって、かみさまとやらが君の方を見ないことを願って願って願って願ってお願いして笑ってみせる。 *** セーブデータ あなたのいない世界にいきたかった。 でもあなたは何処にでもいるから。わたしにキスをしてやさしくして、それから笑って。わたしを見ている。見ている見ている見ている見ている。ああ、わたしは狂いそうなのに、誰もわたしを分かってくれない。 だから、飛び降りたのに。 「悲しいことは全部消してあげるからね」 あなたがぽちり、とボタンを押して。 *** さよならの街 君たちの住んでいる部屋はとてつもなく乱雑であまりにぎこちなくて、それでも君たちを愛している。それがどんなに独善的なものだったとしても、それでも君たちを愛しているんだよ。 *** 嗚呼素敵な偏食家! 好き勝手不幸になってそれでいなくちゃ小説が書けないとかそんなことを言う時代錯誤な人間はたくさんいるわけだけどそれってただの不幸自慢でそれでもいきてるわたしすごい! というやつで更に言うならそこまでできるわたしすごい! というやつで。 ねえねえどうしてそれしか喰えない悪食だって認めるのが嫌なんだよ。 20200511 |