君は神様のおよめさん 

 まんまるだね、という君の言葉が僕にはとても恐ろしかったのだと、そういうことを言ってもきっと誰も信じてくれないんだろう、と思う。それは知っている。だから僕はこの終わりのない鬼ごっこに参加しているし、だからこそ君は僕の隣にいる。
「大丈夫だよ」
怖いことなんて何もないよ、と君は言う。
 言って、僕の手を握る。握って何になる訳でもないのに、この世界が終わってくれる訳でもないのに。
「大丈夫だよ」
 君は馬鹿の一つ覚えみたいにそれを言う。誰かの声がする、あいつらけっこんしてるんだってー。本当にそうだったらどんなに良かったか。
「気にしなくても良いのに」
気にするに決まっている。
「忘れちゃって良いのに」
 僕は帰ってこない君を待っている。
 だからこの夢で、何度も君を見殺しにするしかないのだ。



満月の見える夜、駆けていくこどもたちの声の響く渡り廊下できみのしたいが増え続けている話をしてください。
#さみしいなにかをかく
https://shindanmaker.com/595943

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薔薇の鉢植え 

 君があそこにいるんだって大人たちは嘘を吐くんだ、だって君は此処にいるのに、此処にいるのに。僕の隣で花を咲かせてずっと、此処にいるのに。
「みんな、嘘吐きだねえ」
 僕の言葉に君は答えない。

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無性にその喉に噛みつきたくなった 

 由佐は多分綺麗な存在だったのだと思う。私のずっと隣にいた、だからあまり気にしなかっただけで。幼馴染、世間一般ではどうやらそれがとてつもなく持て囃されるらしいけれど、正直なところよく分からない。だって、由佐は由佐だし、私は私で、何も変わりはしないのに。
 でも。
「いいなあ」
そう言われる度に胃はむかむかと妙な痛みを訴えるから。
「由佐」
「なあに」
「なんでもないけど呼んでみた」
「変なの」
笑う由佐はやっぱり綺麗だった。私は漸くそれを学んだ。
 学んだら、世界の諸々が取るに足らないことだというのも分かってしまって、どうしようもなかったけれど、やっぱり由佐は綺麗だから私は何も言わなかった。



箱庭006 @taitorubot

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浜辺のうた 

 海の音を閉じ込めた貝殻を踏み潰した、あの足の裏の痛みを忘れることを、多分未だ、きみはしないでいる。

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瓶詰め 

 「何かジャムに出来るようなことあった?」「漬物なら出来そう」「後世の人に任せるんじゃないよ」「同じでは?」

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春と逢引 

 「缶のぐるぐる回す蓋が浮いてしまうの」「それが正しいのではなくて」

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幸福 

 走っている。どうして、と聞かれても私にもよく分からない。ただ一つ分かっていることはこのまま此処で大人しくしていてはいけないということ。こんなはずじゃなかった、なんて幾らでも言えるけど言ったところで何の助けにもならない。私は、ともだちに誘われただけだった。ただの地方のお祭り、そうとしか聞いていなかった。走っている、足が縺れて転びそうになる。何とか手をついて体勢を立て直す。松明が揺れている。人の声がする。頭の中で右に左に響いてどうしようもない。上も下も前も後ろも分からなくなる。此処は何処だっけ、どうして此処にいるんだっけ、ああ、そうだ、ともだちの生まれ故郷の村に独特のお祭りがあるって聞いて、参考に出来ないかと思って。何に? 何だったろう、思い出せない。走っているはずだった。息が上がって苦しい。ずっと走っているのに何処にもたどり着かない。土の匂いがしている。何かの燃える匂いも。ともだちが大丈夫だよ、と言って手を握ってくれている。優しい子だと思っていた。いや、過去形じゃない。思っている。思っている? こんなに私は怖いのに、大丈夫だなんて無責任だ。火が燃えている。松明の灯りじゃない。走っている。ともだちがいるのはともだちも一緒だったからだ。だってこんなところに残してはいけない。こんなところって何処だっけ? 私はずっと此処にいたのに。だからお祭りについてもよく知っている。ともだちが笑っている。嬉しそうにしている。じゅう、と音がする。何かの焼ける音。

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玩具の食卓 

 あたたかくなってきたな、と思う。また赤い靴をねだられるのだろうか、どうにも彼女は昔から春には、というか桜の樹には赤い靴と相場が決まっていると思っているようであって、この時期になると毎年毎年赤い靴をねだられている。大抵いつも彼女の選ぶものは形もスタイルも決まっていて、だから流行に合わせて靴屋を回らなくても良い、というのはそこまで収入の高くない仕事についている自分にとっては嬉しいものだったけれど。
「一年で履き潰さないで欲しいなあ」
「それなら貴方が歩き回らなければ良いだけよ」
彼女は言う。いつものようにませた口調で、まるでビスクドールの如き輝きを保ったまま朝を迎える。一人分の朝食を用意してもそもそと咀嚼していると、そういうだらしのないところが嫌いなのよ、と彼女は言う。
「そうは言っても君、僕のことで、好きなところなんてあるのかい」
「そうねえ」
「ない、とは即答しないんだ」
「毎年靴を買ってくれる律儀さのことはそうね、嫌いじゃないわ」
「ゲンキン…」
「ゲンキンにもなるわよ。だって貴方、私にそれくらいしかしてくれないし、私がいないと真面な暮らし一つしないでしょう」
「そんなことないよ」
「あるわよ。きっとご飯も食べなかったに違いないわ」
「それ、君が気にすること?」
「だって、私、貴方にまっとうに生きて欲しいんですもの」
 春の匂いがしている。だから冷たい匂いなんてしないはずだった。
 おかしいかしら? と彼女は首を傾げる。
「貴方は私を殺したのに」
「僕は君を殺したのに」
だからよ、と彼女の言葉の意味は分からないまま。
 朝食はいつもどおりに続く。



玩具店その店先に売られたるやどかりを買いかえる春の夜 / 正岡豊

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だれもいない 

 夕焼けの色みたい、と言われた。そうだね、と返すしかないと僕が思っているのは一体どうしてなのだろう。別にどう返したって良いのに。僕には言葉があってその選択をする術があって、それを分かっているのに僕はいつだってそうだね、と肯定を返してしまう。
「思ってもいないくせに」
「別に、思ってはいる」
屁理屈だった、それが分かっていた。これだって肯定でも否定でもない、ただの反応。僕は面白みもない人間で、それが分かっているから言葉を続けない。
―――この、幸福を。
 忘れたくないから何も言わない。
「嘘吐き」
「嘘は吐いてない」
「でも本当でもない」
「じゃあどうしたら良いんだ」
ひら、ひら、ひら。
 そんなふうに落ちることも出来ない花の、その香りが。美しいと言ったのは誰だったか、僕は覚えている。突き刺すような冬を思い出させる、そんな香りをまとっていたのが誰だったのか。
「―――」
 でも、呼べない。
 呼んだらそれは思い出になってしまうから。
「ああ、本当、お前」
この色は、夕焼けの色なんかじゃなかった。
「可哀想だな」
 君を助けられなかった、血の色だった。



×××は茜色の硝子瓶に入った香水です。柳の花びらとレモングラスから調合されていて、とある冬の幸せな恋を思い出させる、美しい香りが特徴です。 http://shindanmaker.com/430080

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木漏れ日の夜 

 君があつめたひかりが世界で一番美しいなんて、死んでも言ってやれないよ。



20200511