しらぬひ
チリン、とその音は軽快に空気を震わせた。 女性が扉の方を見遣る。 その扉には物理的な鈴が付いている訳ではなかったが、女性にはその音が確かに聞こえていた。 「お客さん、ね」 不思議そうにこちらを見遣る客にいらっしゃいませ、と声をかけるが反応がない。 ギリギリを生きていると、 そう全身で告げているようなその少女を観察するように、じっと見つめて、待つ。 そうして暫くして少女の口から発されたその言語は、彼女もそれなりに知っているものだった。 同じ言語で返すと、少女はぱちくり、と目を瞬かせてこちらを見た。 とりあえずお茶でも、と中に誘導すれば、風船のようについてくる影。 名前を尋ねてみれば、少しだけ戸惑ったあと、はにかみながら少女は告げる。 「…いずみ」 愛おしそうに、それが大事でたまらないと、そう叫ぶように。 「…そう」 動揺が外に出ないようにするのが精一杯だった。 けれどこの敏い少女には、女性の動揺など手に取るように伝わってしまっているのかもしれない。 「良い、名前ね」 「ありがとう」 向き直る。 「改めて。いらっしゃい、いずみ」 これはきっと運命だったし、数ある分岐点の一つだった。 僕らはそれを「はじまり」と呼ぶ。
20140226