きみをよぶ
蝉の声がえいえん鳴り止まない 自分の所為だ、とは言わなかった。 言ったところで彼が報われるなど、思ったことすらない。 小さく、その名を紡ぐ。 もう声が返って来ることもない、その名を。 「会いたい、なぁ…」 慣れ親しんだ言語で呟いた本音に、隣の涼水が首を傾げたのが見えた。
image song「8月の秘密」THE BACK HORN 白狐の黎明堂
ミナギルユメ 「ねぇ、シリウス」 「何ですか、涼水」 幼い少女の姿で、彼女は振り返る。 「私、強くなれてるかな」 今までは強くなかった。 それは痛いほど分かっている。 けれどもそれを嘆くことはしない、強さを追い求めなかった、そのために出会えた人がいる。 「さぁ、それは私の決めることではありませんよ」 その掌にぼんやりと光が集まるのに気付いて慌てて剣を構える。 「ただ、まぁ、一つ言えることは」 にっこり。 そんな効果音の付きそうな程の笑顔で。 「そういうことは私に一度でも勝ってから言う方が良いのでは、ということですね」
image song「緋色の空」川田まみ 白狐の黎明堂
あの娘のピアス この世界が美しいだとか、美しくないだとか、悲しいとか、悲しくないだとか。 神無咲十六夜にとってそんなことはどうでも良かった。 いつもよりも体温の高い背中を、気休めのように撫ぜてやる。 「もうちょっとだから」 「…別に、平気、ですわ」 「心音が早い、呼吸が荒い、体温が高い、咳も出てる。 素人でも分かる症状あるのになんで嘘吐こうとすんの」 ささやかに肩を覆っていた薄い上着はその小さな身体に掛けていた。 晒された肩に吹き付ける風が冷たい。 だけれどもきっと、電車なんか待ってるより、こうして人目のない道を走って行く方が早いから。 はく、と苦しそうに紡がれた名前が、誰のものか十六夜は知らない。 知らないけれど、追求する意味もない。 「鹿驚、もうちょっとだから頑張って」 小さく漏らされた返事はきっと、 十六夜に向けられたものではないけれど、だからどうということもないのだ。
image song「悲しき思い出」amazarashi もしくは「美しき思い出」 白狐の黎明堂
昨日のことのように憶えています その部屋を出る時、最後に目が行ったのはやはりというか、それだった。 暗い部屋の中で、外のぼんやりした電灯を辛うじて捉え、 なんとかと言った様子できらりと光ってみせる、それ。 頑張ってるからご褒美、と唐突に渡された時は驚いて、可愛くないこともたくさん言ったけれど、 彼はもう慣れたとばかりににこにことこちらを見つめているだけだった。 そうして暫くしてこちらの勢いがなくなると、首を傾げて、 「ほんとに嬉しくない?」 なんて聞いてくるのだから、ああ、確信犯という以外になんと言ったら良かったのだろう。 「…アンタは、幸せに、なりなさいよね」 さよならさえ言えない、こんな馬鹿なアタシのことなんか、忘れて。 扉を閉める。 そしてもう、振り返りはしなかった。
image song「11文字の伝言」Sound Horizon 白狐の黎明堂
みっつ かぞえる 愛しているなんて、一度も言われたことはなかった。 嘘でも言ってやるものかと、じりじりと焦燥と劣等に身を焦がしていたことは知っている。 「でも、もう遅いわ」 だけどそれでも、迫害される者同士、そういう意識がなかった訳じゃなかったから。 一度でも、嘘でも。その矜持を打ち壊して、縋ってくることがあったのなら。 それだけでこのちっぽけな空虚感は満たされて、 助けてあげる、なんて思ってもいないことが吐けただろうに。 「そうでしょう?」 ねぇ、と読んだ名前は、ひどく嘲弄に満ちていた。
image song「カウントダウン」Cocco 白狐の黎明堂
でも靴下の中には涙を隠したまま 弱り切った手で私の手を握ったその人は、決してまっすぐに、こちらを見てはくれなかった。 「マコト」 穏やかに私を呼ぶ声は何処か遠くの出来事のようで、 思っていた憎悪などは微塵も感じられなくて。 「…父さん」 掠れた声があまりに狡いと、自分でもそう思った。 とつとつと語る父の表情は晴れやかで、これから死にゆく人間の顔とは思えないくらいで。 「…一つ、心残りがあるとしたら、ジュンのことだ。 あれは昔から欲しがりで、だけれども、大人になるにつれて、欲しいとは言えなくなっていった。 私は、それが、心配だ」 「父さん」 「だから、洵。旬のことを、頼む」 息が詰まりそうだった。 すべて気付いている、 そう分かっていて何も言えなかったのは、自分がその結果であるからではない。 ただ、その日から、私の抱える秘密は一つ、増えた。
image song「靴下の秘密(デモ)」Cocco 白狐の黎明堂
また一つずつ思い出が増えてく あれが単なる家族の情だったのか、 そういうものを越えてしまった恋だったのか、今更その答え合わせをすることは出来ない。 「…片桐さんのばーか」 最後まで、名前で呼ぶことは出来なかった。 名前で良いのに、と笑った顔に答えることが出来なかったのは、 良い子にしていなくちゃ、という可愛くない思考の所為だった。 名前で、呼んでいたら。 どうしようもなく埋まらない溝を、埋めることが出来ただろうか。 そうしたら、彼はもっと、自分を頼ってくれただろうか。 そうしたら、寄りかかってくれただろうか。 そうしたら―――あんなことには、ならなかっただろうか。 「…なん、て。女々しい、なぁ」
image song「さよならの記憶」奥華子 白狐の黎明堂
くだらない話、聞いてくれよ。 世界というものに対して、自分とはどれだけちっぽけな存在なんだろう。 寝物語で聞かされた世界のこと、それを守る神という存在のこと、 自分たちの力のこと、従姉妹に当たる、いなくなってしまった少女のこと、そして、妹のこと。 神の分家など、中核と言って良い存在だろうに、 一人ではどうしても、どうにもならないことが出て来る。 ままならないことばかりで、自分に嫌気がさして。 それなら役目さえ果たせば、何をやったって良いだろう、そう思っていた。 耳に蘇る、呼び声。 自分を呼ぶ声がこんなにも美しいと、気付くのはもう少しあとの話。
image song「電波中毒」初音ミク(村人P) 混淆する景
うねるそら 何故、と。 思わなかったなんて言ったらそれは嘘だ。 何度も思った、何で私が、泣いて喚いて縋りたかった。 それでも、それをしなかったのは。 ひらり、風にたなびく短い黒髪。 泣きそうで、それでも冷静に、元凶である私を睨み付けて。 どうして、とその瞳に滾るものを見たから。 ああ、これを守るために、私は生まれたのだ。
image song「珊瑚と花と」Cocco 手の鳴るほうへ
愛より深い 手を伸ばしたところできっと、何が変わった訳ではないと分かっている。 事実、二人きりになった時、その秘匿された名前を呼んでみても、 向こうはこちらの名前なんか呼んじゃくれなかったし (勿論こちらの名前は秘匿などされていなかった!)、 呼んでみたことに対する反応さえ希薄だった。 むしろなかったと言っても良い。 本当によく分からない奴だと、 その掴めなさに腹が立ったりなんだりしたことも当時はあったけれど、 今となってはそれが正しかったと分かる。 仮にも神というものと繋がりのある彼は、他と深く関わりあうことを許されない。 いや、いずみのことを考えると、決して許されないということはないのだろうけれども。 彼ら自身のプライド故の問題なのか、 それともいずれ来る時のための保身なのか、その真髄までは分からなかったが。 …と、そんなふうに物分かりよく頷いてみても、いつだって思うのはひとつだけなのだ。 「アタシを、求めてくれたら、良かったのに」 そうしたら、何がなんでも、たすけにいったのに。
image song「風化風葬」Cocco 水英
きみのしあわせになりたい 人材の無駄遣いだと、正直、そう思う。 そう言ったら、ふきだされた。 「ぶ、ふぇ、レディちゃんはほーんと、私のこと評価してくれる、よ、ね」 まだまだ笑いの残る声でそう言われては、むっとするのも仕方ないと思う。 「ふ、そんな怖い顔、しないでよお。素直に嬉しいんだから、さ」 「じゃあもっと淑やかにしてみせろ」 「しと…ぶふっ」 またもツボに入ったらしい。 あひゃひゃ、と笑い続けるパートナーの女にため息を吐くと、ぼすり、とソファに沈み込む。 「はー…笑った。 で、どーしてそんな突然、そんなことを言い出したのかな、レディちゃんは」 可愛いこと言ってくれちゃって、と隣に座られた。 「…なんと、言うか」 「うん」 「暁家ってだけでもそうなのに」 「うん」 「お前はなんだかんだ僕より優秀だし」 「うん」 「家事も出来るし、飯も美味いし、最初はうざかったけど最近それも心地好くなってきて…」 「ねぇレディちゃん」 「何だ」 盲たこの目では彼女が今、どんな表情をしているのか分からない。 「それさぁ、告白してるみたいに聞こえるんだけど」 「な、」 かっと耳にまで熱さが走ったような気がした。 「ねぇ、レーディ」 頬に触れたのは掌。 「もーいっかい、言ってくれない?」 どうせにやにやしているのだろうその顔に、思い切り頭突きするまで、あと五秒。
image song「黄昏ロマンス」ポルノグラフィティ 白狐の黎明堂
君の胸で消えそうな心を優しく包んだ 自分の身を守れと、それは死の間際に父が言ったこと。 困ったことに私はその重要性が分からなくて、 でも恐らく首を傾げてはいけないことだから、うん、と一度、頷いただけだった。 それから暫くして、本家筋の男が私を殺しに来て、 真っ先にこの腹を狙った意味を知ったのは、随分あとのことだった。 「子供はねぇ、出来ないんだよ」 だから、その紙を差し出された時、口をついて出たのはそんな言葉だった。 「レディちゃん、私は君にもう話してあったと思ったんだけど」 「分かっている」 「じゃあさぁ、これ、意味ないの分かってるよね」 パートナーであるその男の手の中にあるのは婚姻届。 一応、死神にも婚姻という制度は存在するのだ。 実力至上主義で、血の繋がりなんてものを重視するのは旧家くらいなもので、 一般死神には広く浸透はしていないが。 よくもまぁ、こんな制度を掘り出してきた、と思う。 保証人の欄には世話になっている看護師の名前が既に書かれており、 ついでに代筆なんてものも彼がやったらしい。 「レディちゃん」 「アカツキ」 その声が硬かったことくらい分かった。 「…子供、だけがすべてじゃないだろ」 「あのね、君はセックスするためだけに結婚するっていうの? 正直、それは正気の沙汰じゃないよ」 「アカツキ」 「君は賢いから私の言ってることも、君の愚かさも、勿論分かっているよね?」 「オトメ」 まったく、こういう時だけ名前で呼べば良いと思っているだから、と顔を顰める。 暫く沈黙が続いた。 動いたのは、彼の方だった。 伸ばした手に捕まえられ、そのまま抱きしめられる。 「何、誤魔化そうっての」 「違う」 「じゃあこの行動の理由を説明してよ」 「…あのなぁ」 ぎゅう、とその腕の力を強めて、レディバードは囁いた。 そんなに、思い詰めなくて良い、と。 はっと開いた目はきっと彼には見えていないけれど、恐らく伝わってしまった。 この至近距離だ。気配に聡い彼は、こちらの行動を余すことなく読み取ってしまう。 「俺は、お前が欲しい」 「だから、それは、」 「お前の、すべてが欲しいんだよ。 心だけじゃねぇ、身体だけじゃねぇ、未来まで全部、欲しい」 こどもなんていらねぇよ、お前がとられるだろ。 そう駄々っ子のように続けた彼に、思わずふきだしてしまった。 むっと顔を顰める彼にああ、と言いながら凭れ掛かる。 はぁ、とため息を吐きながらも抱き締め直す、 その胸がやたらとあたたかくて、また、笑みが漏れた。
image song「ネオテニー」ASIAN KUNG-FU GENERATION 白狐の黎明堂
愛シテ呉レルンデスカ 人間という存在と、死神というものの寿命は違う。 それは分かっていたことで、勿論納得済みのことだ。 けれどもしかし、やはり体験するとなると違うのだと、白日ミナモはそう思っていた。 寂しい、なんて。 前までは湧き上がることすらなかっただろう。 「くれたのはアンタたち、なのに、ねぇ」 純血種の死神に比べたら、人間の生命なんて短いもので、 更にその中の魔法使いだなんてなれば、更に短いと言われなくても分かる。 魔法というのは、そもそも生命力そのものなのだ。 それを魔力として外に出せる力、それが魔法使いの力、という訳で、 即ち使えば使うだけ、生命が短くなっていく、そういうものだ。 分かっていた。 納得もしていた。 けれども、理解が追いつくにはまだ少し、かかりそうだ。 だが、だからと言ってミナモの周りがそれを待ってくれることなどない。 家名やその地位故に、敵はいつだってミナモの周りを蠢いていて、 それに弱みを見せることなど出来ないし、代わりに誰かが戦ってくれる訳でもない。 強く、いなきゃ。 そう顔を上げた先。 「みーなもさんっ」 「…ヒメ」 大型犬を思わせるような少年が立っていた。 「おれがいます」 とられた手から伝わる温度は、かつてパートナーを務めていた死神のそれと似ている。 「おれはミナモさんをおいて行ったりしません。 多分、ミナモさんがおれをおいて行っちゃいます」 だから、大丈夫です。 にこっと、ひだまりのように笑った顔が、あまりにも。 「…生意気」 「えーそう言わないでくださいよー」 愛嬌ですって愛嬌! 歩き出せば後ろからついてくる気配。 それに一つ、笑みを零した。
image song「アイデンティティ」椎名林檎 Magic
蒼い空をずっと手探り 蒼い空の向こうには神様がいるんだって―――。 そんな絵本の話を教えてくれたのはミィだった。 特に、叶えたい願いだとか、 今の暮らしを不満に思っているだとか、そういうことはなかったけれど。 神様がいるなら、どうして私のところへ来てくれないの。 何故か、そう思った。 胸の辺りがじくじくと痛むような、此処に居場所がないような、 そんな、不確かな焦燥に時折襲われる、その所為だろうか。 ぎゅう、と胸を抑えて窓の方を見る。 その向こうには、ただ蒼い空がどこまでも続いているように見えた。
image song「SAKURAドロップス」宇多田ヒカル UNDER!!
「献血、してた」 走っていた。 今日は紫子と四月の結婚祝いを買いに行こうと、ついでに外で食事でもしようと、 良いもの食べさせてあげますから、そろそろ味覚鍛えたらどうですか、 なんて偉そうに言った同僚は怒っているだろうか、いや、怒っていない訳がない。 電車になんて乗っている時間も惜しく、ただ只管に走る。 約束を、破るのはこれが初めてではない。 そもそも約束、なんて言い方を知らなかったのだ、どうにもハチにはピンと来ない。 …と言い訳したところで、彼の怒りが収まる訳ではないので、余計な思考を振り払ってただ走る。 だけれどもどれだけ急いだところで、約束の八時はもう回ってしまっていて、 これはもう、ちゃんと言い訳を考えた方が良さそうだ、と思う。 約束に馴染みがない、なんていうのはいつも使っているから駄目だ。 もっと、何か、許してしまいそうな。 ふっと、視界の端を大きな車が掠めた。 黄色の旗。 その文字を認識してこれだ、と思う。 たん、と降り立ったのは同僚の目の前。 「…ハチ、遅いです」 「悪かった」 「僕此処で三十分待ちぼうけですよ。ティッシュこんなにもらっちゃいました」 確かに彼の手の中にはこんもりとティッシュの山が出来ている。 「言い訳くらい、してくれるんでしょうね」 「ああ、実は―――」
image song「時計台の鐘」天野月子 いばらの杜
20140502