20130910いつか、心の話 目の前の身体が倒れる。 もう機能を止めたその身体から、白い靄のようなものが立ち上がって見つめてきた。 「僕を、恨んでる?」 小さな声で聞く。 声を小さくする必要は無かったけれど。 白い靄はふるる、と首を振った。 そして、向こうを指す。 『みんな、恨んでないよ』 白い靄の集団が、ただ静かにこっちを見ていた。 『君が最期の言葉を聞いてくれて嬉しいって、そう言ってる』 「…でも、僕は」 尚も続けようとするが、それは温度のない指に遮られた。 『君が君を責めることはないんだよ』 白い靄の集団が寄って来て、そっと頭を撫でる。 『大丈夫だ』 『君がその心を持っていることを、私たちは知っているよ』 『厄介払いであっても、こんなに清々しい気分になれた』 『感謝、している』 その言葉に応えるように、小さく頷いた。 言外に、生きろ、と言われているようであった。 「変な話だ」 ぼそり、と呟けば、 『そうかな?』 周りは微笑った。 『今誰よりも「生」を語れるのは、私たちだと思うけれど?』 その通りだと思う心を、潰してしまいたくなった。 まだ生きたい、と願う人から希望を奪う、それが仕事である。 いつだってそれは頭に入れていたはずだった。 別段それが悪いことだと思う訳ではない。 自分だって生きたいと願っている。 だからこそ、こうやって仕事を続けている、と。 だけど。 「これって良いのかな」 白い靄に話しかける。 「いつか、全部忘れてしまうんじゃないかな…」 今回のように恨まない人ばかりではない。 きっと自分は、いつだって人からの恨みを背負って行かなくてはいけない。 そんな中で、今持っている思いは全部、忘れられていってしまうのではないのか。 風が岩壁を撫ぜるように、それがいつしか丸く変わっていくように。 この異質とも言える心はいつか。 擦り切れて摩耗して、なかったことになってしまうのではないか。 『きっと大丈夫』 また、頭を撫でられた。 『君なら、きっと―――』 ざわっと風が吹いて、 「―――あ…」 白い靄は全部消えていた。 コツン、とわざとらしい靴の音がする。 「仕事は終わったか?」 「はい、社長」 「なら早く戻って来い」 「はい、申し訳ありません」 君には帰る場所がある。 風がそっと、囁いた気がした。