どんよりと曇った、とある憂鬱な昼下がり。



第一話
ちりん、といずみのから下がった鈴が可愛らしく揺れた。 その音にいずみは微かに首を傾げる。 「いずみ?」 いつものように客を迎えに行って欲しいと頼まれると思って腰をあげていた皇涼水は、 この所謂何でも屋―――白狐の黎明堂店主、筑紫いずみの方を不思議そうに見やった。 しかし、そういうこともあるだろうかとそのまま玄関へと向かおうとすると、 くん、と袖口を引かれる。 「どうかしたの?」 言うまでもなく、彼女の袖口をその小さな手で掴んでいるのはいずみだった。 少しばかり眉根を寄せた、考え込んでいるような表情。 「お客さん、迎えに行かなくて良いの? こっちから開けないと入ってこれないんでしょう?」 「ウン…まァ、そうなんだケド…」 なんとも歯切れの悪い返答に、今度は涼水が首を傾げる番だった。 何でも屋という性質上、敵がゼロという訳でもなく。 未だ詳しくは教えてもらってはいないが、 この店は中から招き入れなければ入って来られないという構造になっているらしい。 「…もしかして、悪い人、だったりするの?」 「ンー…。イヤ、それナラ玄関にも立てナイはずだシ…。 ウン、良いヤ。涼水、出てきテ」 「えー…何か不安…」 こちらに悪意を持つ人間は玄関にすら立てないなんて、 涼水にとっては初耳だった訳だが、もうこの傍若無人の傍に三年もいれば慣れてしまう。 「ま、いいや。私が戻ってくるまでに此処、片付けといてね」 ぐっちゃりとチョコレートの殻の転がる机を指差せば、 「…分かっタ」 分かりやすく、非常に分かりやすく苦虫を噛み潰したような表情が返って来た。 「すみません、おまたせしましたー」 ガララ、と引き戸を開ければ、客の姿が見える。 「良かった、留守なのかと思った」 出直そうかと思ってたところだ、と告げたのは背の高い青年だった。 涼水より頭一つ分程大きいように感じる。 何よりも奇妙なのはその顔面だった。 目のあるはずの位置には、ぐるぐると厳重に包帯が巻かれている。 それでも客は客なので、涼水は営業スマイルを貼り付けた。 「本当にすみません。少しごたごたしていたもので」 「別に良いよ。僕は筑紫いずみに会いたいだけだから」 「…いずみに?」 「ああ」 瞬間、抱いた警戒心は本能的なものだっただろう。 青年の口元には穏やかな笑みが浮かんでいるようにも見えたが、 如何せん格好が格好なので胡散臭い。 着ている服が白い軍服のように見えるのもそれを助長させているように思えた。 「…何のご用件か聞いても?」 「用って言われても。会えれば良いだけだ」 軽く近くに来たから寄ったとでも言いたげな口調が、更に涼水の警戒心を煽る。 彼がいずみの知り合いであったなら、これは杞憂なのだろう。 しかし、先ほどのいずみの感じではそうは思えなかった。 どういう仕組みなのかは知らないが、いずみには玄関の様子を見る手段もあるのだ。 知り合いならば普通に涼水を向かわせるだろう。 「用件を言っていただけなければ、」 「涼水?」 自分の背後からした幼い声に涼水は安堵する。 「いずみ」 振り向いた先にはさっきまで一緒だった小さな姿があって、涼水は息を吐く。 いずみの言葉、この店の構造を疑う訳ではないが、この青年に不安を覚えたのは事実だ。 「遅いカラ来てみたんダ。ア、机の上は綺麗にして来たヨ」 「ありがと」 「デ、どうしたノ?」 「えっと…お客さんがね、いずみに会いたいって言ってるんだけど…」 一歩引いて、その姿が見えるようにしてやる。 「…上二級天使がこんナ辺境に何の用? 地縛霊の話ナラ関東地区の死神と契約してるカラ違反じゃナイはずだケド」 「あ、別にこれは関係ない。 仕事とかじゃないと家を抜け出せないから、仕事帰りなだけだ」 「ソウ」 にこ!と笑ってみせた彼に対して、いずみは表情を全く変えない。 「じゃア、僕に会いたイっていうノは何なのカって、聞いてモ良いのカナ」 「勿論」 青年は芝居がかった動作でお辞儀をしてみせると、胸に手を当てて口を開く。 「はじめまして、僕はH。 家の理由とかで本名は明かせないけれど気にしないで欲しいな」 本名を明かせないなんていうのは珍しくもなんともない。 この店に来る大半は名を偽っている。 涼水だって必要とあらば苗字を隠すくらいはする。 しかし、どうしてだろう、この青年―――Hが言うとそれすら胡散臭い一因にしかならない。 涼水の疑いに満ちた目線に気付いたのか、Hは困ったように笑って、 「いや―――久しぶりの方が正しい、かな?」 次の瞬間には、その笑みの質を変えていた。 「…僕にハ、覚えがなイように思えルんだけレド」 「記憶の残る、もっと前の話だよ」 「ハ?」 あからさまに訝しげに返したいずみを気にせずHは続ける。 「僕らは…ずっと一緒だった。 そして、僕は残される側だった。記憶も、立場も…」 「…話ガ見えなイんだケド」 「生まれてからははじめまして。僕はお前の、」 恐らくいずみを真っ直ぐに見つめるその瞳は弛んでいるのだろう。 「双子の、兄だ」 ←  
20131223