父親も母親も死んだ。
実験中の不幸な事故であって、誰が悪いとかはない。
仕方のないことだと思っていた。
二人ともそういう危険を承知でやっていた実験であることだし、
死んでしまう可能性がとても高いことを二人とも、
幼い時分から分かりやすいように何度も教えてくれていた。
衝撃はあった、悲しみもあった。
ついでに言えば涙も出たし、そりゃもうたくさん。
三日三晩泣き通しだった気もする。
だけど。
EX-Cappa
「十六夜」
ねっとりとした声が纏わり付くような気がしていた。
その不快感を一欠片も表情には出さないではい、と十六夜は返事をする。
「今夜、私の研究室へおいで。いつもの続きをしよう」
「はい」
にこにこと歳相応に見えるように従順に。
そんな十六夜の様子を見て満足気な顔をすると、
男―――養父(仮)はにやにやと笑いながら地下の研究室へと姿を消した。
ふっと力を抜く。
(仮)なんて心の中でつけているのは、
十六夜自身がそいつを養父などとは認めていないからだ。
十六夜の両親は二人とも世界的に有名な科学者だった。
その二人が死に一人娘の十六夜が遺されたとなっては、
引き取りたいという家庭がごまんとあったことは想像に難くないだろう。
そんな中で金に物を言わせ十六夜を引き取ったのは佐藤コウキという男だった。
科学分野におけるNo.1の地位にいた神無咲夫妻が亡くなり、繰り上げ式にNo.1の座についた男。
そんな男が引き取ると言えば表立って反論する者は少なく、
そして子供である十六夜にそれを拒否する権利などなかった。
ちくりと腕に走った痛みに十六夜は分かりやすく眉を寄せて見せた。
「そんな怖い顔をしないで、十六夜。
こうすればお父さんもお母さんも生き返るからね」
そんなのは嘘だ、十六夜はそう思う。
死んだ人間は生き返ることなどない。
それは両親に何度も何度も、
それこそ自分たちのしている実験の危険性よりも重ねて教えられていたことだ。
佐藤は十六夜を引き取ったその日、問うた。
ご両親を生き返らせたいかい?と。
その問いに目を見開いた十六夜の反応を肯定ととったのか、佐藤はそうだよね、と笑った。
僕はね、生体生成の研究をしているんだ。
簡単に言うと新しい生命を作ることだね。
それを応用して、君のご両親を生き返らせてあげよう。
ただし、それには君の協力が必要不可欠だ。
協力、してくれるかい?との問いには少しだけ迷って、一つだけ深く、頷くことにした。
これが、チャンスだと思ったから。
佐藤がはなから神無咲夫妻を生き返らせようとしていないことなど十六夜には良く分かっていた。
彼の目的は別にある。
彼らの研究成果。
二人が何処にも残していかなかったそれは、
世間の大部分では事故に巻き込まれて消失したのだと思っていたが、
その裏側で一人娘の十六夜にすべて託されたのではないかと言われていた。
十六夜の頭の良さはある界隈ではそれなりに有名で、それが噂を招いたのだと思う。
そんな根も葉もない噂を大人が信じ込むなど、といつもの十六夜ならば笑ったかもしれない。
しかし、今回はそうもいかなかった。
何故なら、本当に十六夜はそれらを託されているのだから。
十六夜とてこうしてサンプルの真似事を続けるつもりはなかった。
この採血やら何やらに意味はない。
きっと最後に心を入れるだとかそういうことを言って、
十六夜の記憶を取り出すのが目的なのだろう。
何度も入った研究室。薬品の位置はおおよそ理解した。
「…あと、五日くらい、かなー」
カウントダウンは既に始まっている。
それはきっかり五日後の出来事だった。
いつものように夜、
研究室に降りてきた十六夜のその笑みの質が違うことに佐藤も気付いたらしい。
「十六夜?何か、あったのか?」
その問いに十六夜は更に笑みを濃くすると言い放つ。
もう、敬語を使う必要もないだろう。
「今から、起こるんだよ」
地面が、揺れたような気がした。
「な、何を…!?」
何が起こったのか分かっていない佐藤に尚も十六夜は笑いかける。
「何って、爆発かな。場所は十八研究室」
「じゅうは…そんな、あそこはッ」
「アンタの研究の成果がすべて眠っているんだよね?」
信じられないものを見る目が十六夜へと滑り降りた。
先ほどのものよりは小さいが、同じようなドン、という音が何処かで連続して起こる。
それすら耳に入っていないかのように。
「あ、そうだよね。
一回も教えてないのに何で知ってるのか不思議だよね。
でもね、私ちょっとヒントがあれば分かっちゃうんだ。
建物の間取りとか私の生活スペースから大体のことは検討つけられちゃうの。
でも極めつけは貴方の行動かな。
仕事が終わってから貴方は一度シャワーを浴びて、そのあと殺菌をするでしょう?
そのあと違う白衣を着て十三研究室へ降りて行く。
でもね、昼に十三研究室に降りる時はホルマリンの匂いがするのに、夜はそれがない。
殺菌を徹底するのも不自然でしょ。
だから想定見取り図を作ってみたら案の定、不自然な広い空間があるじゃない。
十七までしか上のボードには書いてないのに。
だから十八研究室が存在するって思ったの。
ね、名前は当てずっぽうだったんだけど、あってた?」
「貴様…!!」
零と迷ったんだ、と楽しそうに語る十六夜に、佐藤が掴みかかった。
どさり、と床に落ちた身体を見下ろしているのは十六夜の方だった。
床に転がった佐藤が何故、と掠れた声を出す。
「すごいでしょ、私のオリジナル麻痺毒。
身体は動かないけど口だけは動くし感覚も死なない。
だから此処で順々に貴方の研究室が燃えていくのを待つことが出来るよ」
佐藤の腕には小さな注射器が刺さったままになっていた。
良かったね、ともう笑みをすべて消した十六夜が言葉を落とす。
「私は、両親の研究成果を貴方に渡すことは出来ない。
貴方は此処で死ぬ。
私は犯罪者になるだろうけれど、まぁ、それも良いよ」
「恩を…仇で返す気か…!!」
憎悪の篭った視線に返って来たのは、氷のように冷たい。
「…良く言うよね。
神無咲夫妻を貴方は何回殺し損ねたの?」
目を見開くという佐藤の行為が、すべての自白の代わりだった。
確かに神無咲夫妻の死因は実験中の事故によるものだった。
それは事実だし、其処に他者の介入あった訳でもない。
けれど、それでも十六夜は知ってしまっている。
彼らが何度も襲撃に晒されていたこと。
その中の一人のこの男がいたこと。
結局すべて失敗に終わっていたのだとしても、十六夜としては許せない。
その研究成果を奪うためだけに、科学分野におけるNo.1の地位をかすめ取るためだけに。
そんなちっぽけな理由で人を殺めようとする、そんな人間が許せない。
「さよなら、佐藤さん。お世話に、なりました」
わざとらしく手まで振ってから十六夜は研究室を出て行く。
爆発物はすべての部屋に仕掛けた。
此処もじきに燃えてしまう。
息を吐く。
「さーて、これからどうしよっかな」
もう自由の身だ、何処へでも行けるだろう。
大きく一つ伸びをして、その小さな背中は闇へと紛れていった。
佐藤コウキ(さとうこうき)
20080904
20130910 改定