「助けてください」
血塗れの少女が黎明堂に駆け込んで来たのは、麗らかな午後のことだった。



EREA
「え、ど、どうしたんですか!?」 涼水は血の匂いに戸惑う。 視界に飛びこんでくる紅は彼女を震わせた。 怖い、生物の本能であろうそれを悟られないように押し込めて、涼水は少女を見つめる。 「大丈夫です。私の血ではありませんから」 それは他人の血だと言うこと。 何も大丈夫ではない。 「お願いします、店長に会わせてください」 少女は頭を下げ、肩を震わせた。 「デ、僕がこっちに呼ばれたんダ」 「だって、このまま店に上げられないし…」 濡らしたタオルを少女に渡す。 「確かにネ。 …デ、僕を呼んダってことは何か依頼ガ?」 にこりともしないいずみに少女は黒く涙の跡を残した顔で言い切った。 「私と、私の父を殺してください」 息を飲んだのは涼水だった。 これは依頼なのだ、仕事なのだと自分に言い聞かせ、喉まででかかった疑問を押し込める。 「まタ物騒な依頼だネ。名前を聞いてモ?」 「申し遅れました、リスリックトゥ・エリアと申します。動機も必要ですか?」 「出来れバ聞きたいネ」 リスリックトゥ・エリアは頷くと、徐ろに自分のこめかみを突いた。 「…嘘」 「これが理由の一つです」 思わず涼水が言葉を漏らす。 リスリックトゥ・エリアの目は先程とは色が変わっていた、何故なら彼女の目が回転したから。 「ロボット、と言っテ良いのカナ」 「はい、父により精密に造られたロボットです。父は私を人殺しに使います」 「だカラ殺しテ欲しイと?」 「ええ、私はロボット。 あまりに精密に造られた私は学校へ通い、友人もいます。 彼らに自分のやっていることを知られたくないと願うようになりました。 更に、人を…殺したくないと」 まるで涙が浮かんでいるようにも見える、きらめいた瞳。 「自己破壊を防ぐプログラムがあり、私に自殺は出来ません。 最初は私だけを壊してもらおうと思いました。 しかし、それだけではだめなのです。 父はきっと、私を再生させるでしょう。 それでは意味がありません。 けれど、私には親殺しを防ぐプログラムも導入されています…」 「…だカラ、僕、カ」 感情を持ってしまったロボット、自ら死ぬことも連鎖を断ち切ることも禁じられて。 「答えてくれなくても良いけど、一応聞くね。どうするの?」 依頼は保留にさせて欲しいと言ったいずみに、リスリックトゥ・エリアは一度帰ることを決めた。 「…エリアって言ったデショ」 「うん」 まさか答えが返って来るとは思わなくて涼水は驚く。 こういった仕事に関わることはなかったし、いつもいずみはそれなりに誤魔化していたから。 「知り合いなんダ、そいつ。父親の方。保留にしタのはそれと…」 気まずけにいずみが言葉を濁す。 「とにかク、一度話をしなイと」 「ま、待って」 立ち上がったいずみに慌てて声を掛ける。 「…一緒に行きたいって言ったら、怒る?」 あの血塗れの少女のことが、ひどく気にかかっていた。 「父親はカイル・エリアって言ってネ、優秀な科学者だヨ。 僕は彼の力も認めてるシ研究成果も買ってル。 彼も…カイルも、一度この店に来タことがあるんだヨ」 「…何で?」 店へ来たということは何か願いがあったということ。 それも、自分の力だけでは叶えられないような願いが。 「死人を生き還らせル術はないカ、っテ」 死人を生き還らせる。 その言葉に涼水はどきりとした。 自分にはその能力(チカラ)がある―――スカルから聞いたこと。 その為には、大勢の人の命が必要だと言うことも。 「死んだ人間はネ」 いずみの静かな声。 「絶対に何があってモ、生き還らそウなんテしちゃいけないんダ…」 台詞とは裏腹に、その言葉は悲痛な温度を含んでいた。 通された応接間で二人は屋敷の主人を待つ。 「…カイル・エリアって何者?」 あまりに広い部屋に眩暈を感じながら涼水は聞いた。 「研究者の世界の実質No.1って言っタところカナ。 No.1だっタ神無咲夫婦の事故死後、 No.2の位置にいタ佐藤コウキが暗殺されタ結果だカラ、No.3の座に甘んじてルみたいだケド」 実力はあルんだけどネ、と付け加えられる。 「研究の世界でそんな風に言われルなんテ、 方向性はともかク、マッドサイエンティストな所はあルもんだヨ」 「やぁ、待たせたね」 開いた扉の向こうには長身の男性が立っていた。 固い四角眼鏡に柔和な笑み。 「久しぶりだね、いずみ」 「そうだナ」 いずみもにこりと返す。 「彼女がそちらへ伺ったと聞いたが?」 「やっぱリ聞き出したカ」 「何、ただの報告だよ」 カイルは涼水の方に視線を移した。 「そちらのお嬢さんは? 前に会った時は、君は誰も連れていなかったはずだが」 「あ、初めまして、私は、」 「涼水と言ウ。 僕の助手を少し前カラやってもらっているヨ」 答えようとした涼水をいずみは素早く遮った。 「次に僕の許可なく喋ったラ、解雇も考えル」 「おや、手厳しいね」 冷たい言葉に涼水は何故遮られたのか気付く。 死人を生き還らせる、それが彼の望みなのだ。 その能力(チカラ)を持つ皇家の者が目の前にいるなんて、彼に知られてはいけない。 「話を戻そウ。 彼女から聞いたのナラ話は早イ。どうするのカ決めてくレ」 「どうする、とは?」 「これはそちらの家庭問題ダ。 貴方との付き合いもあル。 貴方が断れバ依頼はなかっタことにするガ」 ふ、とカイルが笑みを漏らした。 眼鏡の縁から垂れる細かな鎖がしゃらりと音を立てる。 「それは建前だろう?君は私に断って欲しいんだ。 いくら君と言えども、私を殺した後この屋敷を生きて出られる可能性は低い。 助手を連れているのなら尚更だ、違うかな? これは交渉なんだろう?」 「随分見縊られていルようだナ。ならバ、断りはしなイと?」 「好きにしてくれ。君に出来るならの話だがな。…それに、」 本当に楽しそうに、 「まだ、諦め切れていないんだろう?」 いずみの表情が強張るのが目に見えて分かった。 「…僕はあんなプロジェクトに参加すル気はこれっぽっちもなイ。 もう二度とその話は出すナとも言ったはずダ」 これは怒っている、と涼水は思う。 「帰るヨ。彼の言葉を借りるナラ交渉は決裂ダ」 おや、とカイルは片眉を上げた。 「それは、私への宣戦布告と受け取っても良いのかな?」 「好きにしロ」 「―――私は」 ことり、とカイルはカップを置く。 「子育てに口出しなんか、して欲しくなかったんだがね」 「あの子が自分の子供だト?」 「ああ」 カイルは一旦視線を落とした。 「彼女は私の娘だ」 次に二人を捉えたその目は、笑っていなかった。 屋敷に着くまでいずみは無言だった。 息さえ詰まりそうな刺々しい空気に、涼水は何度か置いてかれてしまいそうだと感じた。 やっと屋敷についてはぁ、 と大きな溜息をついて仕事場に向かおうとするいずみを思わず引き止める。 「えっと…プロジェクトって何のことだか、聞いても良い?」 分かりやすく顔を歪められた。 それほどに嫌な話題なのだろうか。 いずみは少しの間話すか話すまいか迷っているようだったが、はぁ、と再度溜息を吐くと呟いた。 「死人を生き返らせるプロジェクトだヨ」 息が止まるかと思った。 「ほ、本当にそんなことが…?」 「出来る訳なイだロ」 その顔は俯いていて見えない。 「出来ちゃだめなんダ。出来てモ、やっちゃいけなイんダ…」 そのままいずみは仕事場に籠ってしまって、その日は顔を合わせなかった。 エリア家のことはどうするのか、いずみに聞けないまま数日が経った。 来訪を告げる鈴の音と共に店に駆け込んで来たのは、感情を持つロボット。 「カイル・エリアからの依頼を預かって来ました」 左のこめかみの辺りから目に掛けてが酷く溶けている。 「助けてくれ、と」 先に行くから着いて来たいなら一人で来いと言われ、 涼水は電車を乗り継ぎエリアの屋敷に来ていた。 そこには前に見た豪華な屋敷はもうなく、ただ焼け焦げた残骸が残るだけだった。 「あ、あの、このお屋敷何があったんですか?」 規制線で近くにはいけず、涼水は線の外の警官に尋ねる。 「放火だよ。 ここは有名な先生の家だったらしい。あんなに綺麗なお屋敷がなぁ」 「その、先生は?」 「何、知り合い?」 警官の疑うような視線にどぎまぎする。 「え、ええ。明日から此処で働くことになっていたんですが…」 咄嗟にメイドを装う。 警官は何か思う所があったのか、そうか、大変だねぇと言いながら搬送先の病院を教えてくれた。 礼を言いタクシーを捕まえる。病院にいるということは、いずみは間に合ったのだろうか。 「さテ、僕は君の殺したがってタ父親を彼の依頼で助けタ訳だケド」 集中治療室の前、いずみは少女に問う。 「もう一度聞こウ。 君は、どうしたイ? 彼の依頼はあの火事から助けルことデ、君の依頼を断りはしなかっタ。 今なら楽に殺せルだろうネ?」 ぼう、と集中治療室のランプを見ていた少女が、 「彼を、私を、殺してください」 そう言うのと、涼水が看護婦を説得してその廊下に入って来たのとは、同時だった。 つかつかと少女に歩み寄る。 妙に冷静なのを感じていた、やることは決まっている。 ぱしん、と小気味良い音がして、少女が左頬を抑えた。 「…何で、そんなこと言うの?」 絞り出した声は変に掠れている。 「仮にもお父さんなんでしょ?」 「しかし、終わらせなければならないんです」 少女は冷たい目を涼水に向けた。 でも涼水はそれを冷たいと思わなかった。 「じゃあどうして、そんなに泣きそうな顔をするの」 「…泣きそう?」 きょとん、と返される。 「本当は死んで欲しくなんかないんでしょ?」 「そんな、ことは…」 感情があるのなら、家族の情と言うもののあるはずなのだ。 例えそれがどれだけ殺伐とした関係でも。 家族とはそういうものだと涼水は思っていた。 「可笑しいよ、ロボットでも娘、なんでしょ? 言えば良いじゃない、やりたくないって。 それを貴方はしたの?」 少女が俯く。 やがて、ぽつり、と語り始めた。 「私にとって最初、存在とは意味のないものでした。 頑丈な私は壊れることすら出来ず、周りとかけ離れ、長い間放棄されていたのです。 ゴミ箱のような実験廃棄場で、お父様と出会うまでは」 「…そうカ、種子とは君のことカ」 「はい」 いずみの説明によれば、死人を生き還らせるプロジェクトに必要不可欠な核とされたものが、 種子と呼ばれるプログラムだったらしい。 「記憶さえ与えれば成長する、それが例え既に死んでいる人間でも。 …しかし、それは幻想です。 種子はただの記憶装置とそれを元にした人工知能、 外装を与え人に擬態してもそれは変わりません。 今回私が感情を持ったことだって、ただのバグだと言えばそれまでです。 …実験として与えられた記憶は、リスリックトゥ・エリア様のものでした」 リスリックトゥ・エリア、それは彼女の名前ではなかったか。 「基本データの調査で私は人間の世話を任されることになりました。 まだ私がリスリックトゥ・エリアではなかった頃のことです。 それが、彼女、リスリックトゥ・エリア様。 私はリスリー様とお呼びしていました」 少女の話は続く。 「リスリー様は生まれつき身体の弱い御方で、 いつ死んでも可笑しくないとまで言われていました。 ご本人はそれを知っていても尚笑顔を絶やさず、周りの者は皆その笑顔に癒されていたものです。 しかし、恐れていた通りリスリー様は早くに亡くなってしまいました。 その時のお父様の様子は見ていられない程でした。 葬儀の前、私は密かにお父様に呼び出され、リスリー様の記憶を受け継ぎました。 お父様は一言、これは実験だと」 「生き還らせたい人って…」 「そウ、彼の本当の娘―――リスリックトゥ・エリア、その子だヨ」 いずみが囁くように言う。 「私は…私は分かりません。 私はリスリックトゥ・エリアなのに、お父様は人を殺させます。 私はリスリー様ではないのに、お父様は慈愛に満ちた表情をなさいます。 どうしたら…私は…あの方に尽くそうと決めたはずなのに…あの廃棄場に戻りたい…」 「…それは、貴方が貴方だからだよ」 口を継いで出た言葉に、涼水が一番驚いた。 でも、一度出てしまえば言うことなんか決まっていたように転がり落ちていく。 続ける。 「貴方が従来のリスリックトゥ・エリア、 リスリーさんではなく、本人の記憶と傍から見ていた記憶を持つ、貴方自身だから。 言うなれば、全く新しいリスリックトゥ・エリアだから。 感情を持った、一人の人間だから、そう思うんだよ」 黙ってしまった二人にいずみは言葉を掛ける。 「…もう一度聞くヨ。どうしたイ?」 カイル・エリアが意識を取り戻したと聞いて、いずみと涼水は病院へ向かっていた。 「元気そうだナ」 横たわるカイルの横にはリスリックトゥ・エリアが寄り添っている。 その眼差しは父を慕う娘のものであり、主人を敬う召使いのものだった。 「君に助けられたのか」 「依頼だからネ」 ばさりと資料を放る。 「屋敷を襲った組織と依頼主の資料ダ。 娘を泣かせタ輩に制裁くらいは加えてモ、バチは当たらなイんじゃないカ?お父サン」 「…代価は?」 「貸し一つダ」 「…はは、高くついたな」 笑うカイルの手を少女が握る。 「私を使いますか?お父様」 「…いいや」 その手を握り返してカイルは呟く。 「もうお前は使わないよ、お前は私の娘なんだから」 その様子を横目で確認して満足そうに笑うと、いずみは病室を出ていく。 「ちょっといずみ置いてかないでよ!」 慌てて追い掛ける。 あれも一つの家族なのだ、そう思った。
20130805