あかし
「はい、これ」 寒い朝から本殿に篭って祝詞をあげるこのめに、瑞穂はさっと箱を差し出した。 ゆらゆら揺れる蝋燭の火は暖かそうではあったが、 もう本格的な冬を目前にしている以上、それだけでは心もとない。 「何よこれ」 とりあえず、と言ったように箱を受け取って、このめはじろりと瑞穂を睨み上げた。 「今度は何したの、もしくは何が欲しいの」 「君の中で僕のイメージってそんななの!?」 大袈裟に仰け反りながら笑う。 「開けてみてよ」 疑いの目線を緩ませないこのめに箱を指し示した。 見てもらえないと誤解も解けない、と降参のポーズを取ってみせる。 このめは暫く瑞穂から目線を逸らさず、嘘かどうか図りかねているようだった。 信用ないな、とは思うが確かに今までの自分の行動を振り返ってみると、 疑われても仕方ないような気はしている。 特殊な事情故に外に出ることは少なく、従って浮気などしたことも考えたこともないのだが、 それでもこうして何か贈り物をするなんて、ひどく久々のことだったと思い出した。 そんなことを考えながらじっとしていると、 やがてこのめは諦めたのかその箱を用心深く開け始めた。 悪戯好きの長女じゃあるまいし、 仕掛けなどしていないのだが、それほどまでに信用されていないらしい。 苦笑する。 周りから似ている似ていると言われてばかりいるのだし、 もしかしたら瑞穂自身もそう思われているのかもしれなかった。 新発見だ。 最後の包みが解かれて中の箱が顔を出す。 そして、このめのたおやかな指がそれを開けた先には。 「…何で?」 「ん、今日が良い夫婦の日って聞いたから」 それと、久々に外に出る用事もあったし。 そう続けながらこのめの表情を観察する。 頬に赤みが差しているのは寒さのためだけではあるまい。 目がきらきらと心なしか輝いて見えるのも、気のせいではないはずだ。 「気に入った?」 「…でも、付けてらんないよ」 ころり、とこのめの掌を転がったのは、小さな赤い石のついた指輪だった。 守るべきものを表すようなそれに、 どうであれ此処に縛られ続ける自分の全てが映っているような気がしたのだ。 犠牲になったつもりはない、一緒にそうなろうと思っている訳ではない。 瑞穂は瑞穂で此処が気に入っているように、 このめもこのめで此処に対して思うことがあるだろう。 けれども、此処という空間が何かしら瑞穂に与える影響と言うものは、決して小さくはないのだ。 「つけなくて良いよ」 そういうつもりで買ったんじゃない、と言った。 「覚えてる?結婚前に君が姿を消してしまったこと」 良くあるマリッジブルーというやつだろう、そう思っていた。 しかしこうして今思うと、生まれてきた長女が理に選ばれた、 そういう存在であるとその現実を押し付けられているような今である以上、 あれはある種の分岐点だったと思うのだ。 「あの時のことを、最近良く思い出すんだ」 忘れてしまうということは、もしかして、なんて。 もしもそうであるならば、記録が一切ないのもまた頷けるだろう。 「だから、と言うのもなんだけど。 あまり一緒にいられない僕らが、 なんとかあの子を引き止めておきたい、なんて傲慢かもしれないけれど。 でもね、このめ」 いつか消えてしまうかもしれないものを、あまりに外界とはかけ離れたこの世界を。 「母が子を思うのに理屈だとか運命だとか、 そういうめんどくさいもの、なくて良いと思うんだよ」 それでも愛したままでいて欲しいなんて、残酷だろうか。 このめは一度ぎゅっと拳を握った。 「…そうね」 小さく呟く。 「そうね、ありがとう。大事にする」 そうやって笑って、それだけだった。 自分の言葉に何を思ったか、瑞穂は聞かなかった。それで良いと思っていた。 夫婦とは、きっとそういうものだと思っていた。
20131122