冬の陽射しがやわらかくなり始めた、ある日の話。



あ☆にゃんだふる☆でい
「にゃーン」 「…え」 「にゃーン」 「いず…み…?」 涼水は強く目を瞬かせた。 出来ればそのまま回れ右をして逃走したい。 「涼水もっトリアクションとってヨー」 「いやいやいや何で猫耳!? え、尻尾も!?そんな自慢要らないんだけど! お客さん来たらどうするのー!!」 白の猫耳と尻尾。 非常に覚えのあるそれ。 一応尋ねる。 「それ、どうしたの?」 「えっとネ、イザヨイに薬もらっテ…」 「…それって、前(※ドラパ2参照)のやつ?」 「ウン、そうだヨ?」 あああ、と涼水は頭を抱えた。 あの自分と同い年だとは思えない自称マッドサイエンティストが絡んでいるとなると、 もう手に負えない。 見た目よりも悪戯心満載な彼女は、おかしな薬を発明しては涼水に後始末をさせたりするのだ。 頭の良い人は何処かしら可笑しい、その認識は涼水の中で確実に正しい言葉となっている。 「ホラ、今日猫の日だカラ」 イザ子こういうの好きデショ? なんて言われて、ああ、確かに、なんて頷いてしまう自分が嫌だ。 毒されている。 「でも、本当にお客さん来たらどうするの?」 「その時ハその時」 そんな行き当たりばったりなことを言った店長に、従業員は盛大なため息を吐いた。 まぁ今日来る予定なの、凜だけだし。 そう続けられた言葉に、再度ため息を吐いた。 身内だから良いって問題でもない。 いずみの言った通りに昼前には凜がやって来た。 涼水と同じようなリアクションを大分涼水より柔らかくやってのけた凜に対して、 「えーイ」 いずみは星がつきそうな声で薬をぶっかけた。 「わあああいずみ何してるのー!凜さん大丈夫ですか!?」 もくもくと上がる白煙の向こうに声を掛ける。 大体こういう時は全く大丈夫じゃないことが多いのだがそれでも希望は捨てられない。 「んーだいじょばないかなぁ」 白い煙が晴れたそこにはぴょこり、と揺れる三毛色。 「凜さんまで…猫耳…」 「尻尾もあるよ?」 「そういう問題じゃないです…」 ああデジャブ、涼水はがっくりと項垂れる。 類は友を呼ぶという言葉が頭の中を左から右へと横切っていくが、そういう問題ではない。 「あーでも、今日は厨房入れないなぁ…」 その呟きに涼水はさぁ、と青くなった。 凜は知らない人は居ないと言って良い程有名なシェフなのだ。 彼女の経営するレストランは二年先まで予約がいっぱいなんだとか。 「すみません…!凜さん忙しいのに…」 そんなすごい人を厨房に入れないようにするだなんて、謝っても謝りきれない。 「いや大丈夫だよー。 こんくらいの不足の事態に対応出来ないような従業員採ってないしー」 なんとも心強い言葉である。 感激にぶるぶると震える涼水。 いずみの引き起こすあれやこれやで、もう涼水の感情メーターは振り切れているのかもしれない。 そんな涼水を見て何を思ったのか、凜は猫耳に手を添えて、ぴこぴこと動かした。 「いいでしょー猫耳ー」 どうやら見せびらかしているらしい。 勿論、それはどう見てもそれは兎のポーズだ、というツッコミに割いている気力などない。 「すずちゃんもしようよ」 凜から掛けられた言葉の意味が分からなくて顔をあげる。 「これ」 これ、とは。 もしかして、もしかしなくてもその耳のことだろうか。 「ア、それ良いネー!」 そういう楽しそうな声にまずいと思うよりも先に、背後から何かをぶっかけられた。 もくもくと上がる煙。 今までとは違って自分が中にいるというのは分かるのだが、如何せん他のことは分かりたくない。 「ア、似合ウ似合ウー」 「ほんとだー涼ちゃんは黒猫なんだねー」 そんな呑気に感想を言い合わないで欲しい。 恐る恐る上げた視線が向かうのは、居間の奥にちょこりと置いてある小さめの姿見だ。 そこにいたのはそりゃあ予想は出来ていたが、黒色をした三角耳。 人間の方の耳が消えていないことは喜ぶべきだろうか。 「ホラ、涼水」 てーん!と涼水の前に差し出されたのは猫じゃらしだった。 それを持つのはいずみ。 人を猫扱いして!と思わなくもないが前回の例で、それが有効であることも涼水は覚えている。 「ぐ…でも、私は、私は人間なんだ…から…」 ゆらゆらと揺れる穂先をどうしも目線が追ってしまう。 そういう薬だとは分かっていても、 しかしそれでも、猫のようにじゃれつくなんて、涼水のプライドが許さない。 「ほらほら」 凜も便乗して目の前で二つ、誘うように振られるそれから目を逸らした。 その先に、あったのは時計。 あっと声を上げる。 「今日のよいとも洵さんが出るんですよ!!」 見なきゃ!と二人の手から猫じゃらしを取り上げ、居間のソファへと無理矢理座らせた。 「…涼ちゃんってそんなに洵のこと好きだったっけ」 「…涼水、今、洵の出てル番組殆ど録画しテDVDに焼いてるヨ…」 「あ、そこまでなんだ…」 なんかお疲れ、なんて凜に慰められているいずみのことなど無視である。 録画は勿論しているけれども、やはりリアルタイムで見たいのがファンの性だ。 三人分のお茶を用意してソファに戻ると、 ちょうどいつもの音楽と共に番組の中のコーナーが始まるところだった。 『今日のゲストは來坡琥洵さんでーす!』 わーきゃーぱちぱち。 そんないつもと同じ観客の反応を見ながら涼水はお茶に口を付けて、 次の瞬間にはぶふっと盛大にお茶を吹いた。 サングラスを付けた司会者が言うと同時に舞台に出て来た洵は、猫耳と尻尾をつけていた。 『來坡琥さん、それ何です?』 『今日は猫の日なのでー猫になってみました!にゃん!』 まさかテレビで知り合いの猫化姿を見ることになろうとは。 『セットにすごく時間掛かったんですよー。でも、ほら!』 ぶんぶん、と頭を振る洵。 洵の頭にしがみついているかのように落ちないその耳に、ほう、と涼水は息を吐いた。 現代技術とはすごい。 次に洵が店に来たら聞いてみよう、なんて思う。 「トラ猫かー」 「ウン、洵っぽイっちゃぽイんじゃなイ?」 馬鹿二人にも好評なようだ。 そのまま三人でお茶とお菓子をつつきつつテレビにかじりついていると、 ちりん、と鈴の音がした。 動こうとしない二人に一応、一応出てきますね、と声をかけてから玄関へと向かう。 「こんにちは」 「あ、鹿驚さん」 濃い水色のふわふわふりふりを着こなした小さめ童顔の彼女は、 今日も何処か高飛車な雰囲気を漂わせて其処に立っていた。 「今凜さんも来てるんですよ」 そう言ったら少しだけ表情を曇らせて、 ああこれは今日もあの二人の餌食になりそうだなぁ、なんて他人ごとのように思う。 「それはそうと、その耳は何なの、涼水?」 「ああ、これは…」 多分貴方もこうなりますよ、 そんな感じのことを言おうとした涼水の後ろから、にゅっと手が出てきた。 てーい、と語尾に星でも付きそうなテンションで合わさった二つの声と共に、 ばっしゃーんと言う音、もくもくと立ち昇る白煙。 もう何も言うまい。 「ほらほら鹿驚、見て見て〜」 凜が楽しそうに煙の向こうの鹿驚にご丁寧に何処から持ってきたのか、鏡を見せる。 「鹿驚は灰色カー。 服の色モ相まっテ、ロシアンブルーみたいだネ!」 そうきゃらきゃらと笑うのはいずみであり、 なるほど、確かに白煙の中から出てきた鹿驚の新たな耳は灰色をしていた。 「わ、私にこんな、無礼な真似…ッ」 「鹿驚、鹿驚、お姫様に戻ってる」 うりゅ、と大きな目いっぱいに涙を浮かべる姿を見ても、凜もいずみも笑うだけである。 慌てて涼水が慰めに掛かって、結局四人でだらだらとお茶をすることになった。 その日三度目の呼び鈴が鳴ったのは、凜と鹿驚が帰ってからのことである。 「…あれ、涼ちゃん、それ、何」 「もう、何も聞かないでください…」 何も聞かないでくださいと言いつつ、 今日は大変だったんですよ、と居間に通した草希にお茶を出す。 今日のお茶はキウイティーだ。 ただいつもの紅茶の上に、薄くスライスしたキウイを浮かべただけ、とも言える。 ただこれがレモンを浮かべるよりもマイルドになるのだ。 「角砂糖は草希さんは一個で良かったですよね」 「うん、一個で大丈夫ー」 キウイかー初めて飲むなー、 なんて言いながら角砂糖を一つ、暖かい紅茶の中に溶かし入れて一口。 ぽふん、と可愛らしい音と共に草希の頭には耳が現れた。 以前も一度見たことのある白い猫耳である。 居間の鏡で自分の頭を確認し、そのまま尻尾も確認した草希の顔は非常に恐ろしいものだった。 お盆を抱えたままの涼水がごくり、とつばを飲む。 「…まーぁたーぁイザヨイかあのクソ科学者アアアア!!」 鬼の形相で立ち上がる草希。 それでも律儀にカップをソーサーの上に戻していくのだから、 もしかしたらこれは格好だけなのかもしれない…というのは勿論、涼水の希望的観測である。 絶対許さない、そう呟いて彼女が向かう先は恐らく、先ほど呟いていた科学者の元だろう。 今回の発端である薬の開発者は彼女なので、 そういう意味では確かにイザヨイの所為とも言えるかもしれないが。 勿論、今日此処には来ていないイザヨイが草希のお茶の中に、 薬を混入するなんてことが出来るはずもなく。 「出来心で薬盛りましたなんて言えない…」 そんなふうにして走って行った草希をぼうっと見ていた涼水だったが、はっと我に返る。 「た、大変!いずみー!草希さんがー!!」 怒りのままに恐らくイザヨイの所に向かったであろう草希を追って、 涼水といずみはちょっとした不思議ロードを通って研究所に来ていた。 何がどんなふうに不思議なのかはまた別の話で。 そこで見たのはイザヨイを追いかけ回す草希の姿である。 ぴょいぴょい、と走り回るイザヨイの後を草希がぜいぜい言いながら付いて回っていた。 それだけならばいつもと同じ、とまではいかなくとも、そこそこ珍しくもない風景である。 イザヨイの方が草希よりも体力やら何やらがあるので、 こうした肉弾戦的な構図になると、どうしても一方的なものになってしまう。 が、問題はそこではない。 「…イザヨイさん、耳」 「増えてるネー」 そんなに高スピードで動いてる訳でもなく、 ちょっと離れては追いかけてくる草希を待っているという図なので、その頭のものが良く見える。 灰色と黒の縞模様をした三角。 自分の話をしていることに気付いたのか、 イザヨイがこちらを見遣って、それはもう楽しそうににやり、と唇を歪めた。 「イザ子って時々ひっぱたきたくなル表情するよネ」 その言葉には同意しないでおく。 しばらくして草希が諦めたのか、とことこと涼水といずみの方に歩いてきた。 それに倣うようにしてイザヨイもやってくる。 「自分で飲んだんですか?」 頭を指してそう問うた。 まさかとは思うが怒り心頭の草希にぶっかけられた訳ではないだろう。 やはり、返って来た答えはまぁね、と言った軽いものだった。 「まぁ自分で実験してこその研究者でしょ?」 ドヤァ、と効果音が聞こえたような気がした。 「自称マッドサイエンティスト…」 「そろそろその自称取ってくれてもいいよ?」 ぼそりとしたいずみの呆れたような呟きに、にたぁ、と笑うイザヨイ。 あはは、と苦い笑いを返すだけに留めておく。 「多分一生あノ自称は取れなイだろうネ」 そんないずみの的確も的確なツッコミは聞こえないふりを決めることにした。 そんなこんなで店に戻り、もうすぐ日付も変わるという頃。 ちりん、と鳴ったのは本日四度目の呼び鈴だった。 「洵さんがやってきたよー!」 まさかの来客である。 大好きな芸能人もとい常連客の来訪に嬉しくなって、 ばたばたと足音が立つのも気にせずに玄関へと走った涼水を待っていたのは。 「…ねこみみ」 「うん、猫耳」 「…今は、プライベート、なんですよね?」 「うん、そうだよ」 もしかして、と涼水の中で嫌な予感が首をもたげる。 昼間テレビに出ていたのを見ているからこそ、小道具か何かだと思っていたのだ。 いずみも凜も特に何も言っていなかったから、余計にそういうものなのだと思っていたのだ。 「まぁ普通の人は本物の耳と尻尾が生えてるなんて思わないからね」 やっぱりー。 もう疲れ切ってそう言葉にするのさえ面倒だった。 朝イチでイザヨイのとこに電話してね、昼の放送に間に合うようにしてもらったんだー、 これ効き目長いねーなんていう洵に、そうですねーという乾いた笑みしか返せない。 とりあえず、お茶でも飲んで薬の効き目が切れるのを待とう。 ぼんやりし始めた頭に、こんな夜にぴったりな暖かいお茶と、 それに合うであろうお菓子のことだけが浮かんでいた。
20140223