何かをするには、それ相応の対価が必要であって。

物書きの対価 

 「Yはいつも笑ってるね」
放課後の教室。茜さす、そういうにはまだ普通の色合いをした風景だがその中で、Yと呼ばれた少女はそう?と首を傾げた。
「そんなに楽しくない?」
友人である少女の問いにYはまたも首を傾げる。
「え、なんで楽しくないになるの、言い間違い?」
笑ってるんだったら楽しい、じゃない? と問うと、そうだけど、と彼女言いにくそうに淀んだ。
「だって…Yの笑顔って、何か表面的なんだもん」
「表面的?」
「うん。何かね、本当に楽しいのかなって、時々不安になるの」
きょとん、とする。
「そんな顔してる?」
こくり、と縦に振られる首。
「Yの笑顔はね、何か下に、他の表情があるんじゃないかって思わせるの。私の思い過ごしなら良いんだけど…ねぇ、Y」
それを問うことが恐ろしいというように、その声は少しばかり震えていた。
「今、しあわせ=H」
 違うところを見ていた視線の上に割り込まれる。視線が絡めば嘘くらい看破できる、そう双方が分かっているからこその行動。
「うん。そうだと思うよ」
そんなことされなくても、これが嘘なんてありえないのに。
「…そっか」
その答えに彼女は満足したようだった。そして、安堵もしたようだった。

 「…しあわせ=Aかぁ」
少女と別れた後の廊下で、ぺたり、内履きが床と擦れる音がする。ぺたり、ぺたり、誰もいない廊下を一人、影に潜むように。
「どちらかといえば、物書きはしあわせ≠ニは程遠い生き物だと思うんだ。登場人物、例えそれが紙の上の出来事だろうと、哀しみも苦しみも淋しさも、全部、受け止めなくちゃいけない」
思い浮かぶのは擦り切れたノート。つぎはぎしてペンの色も違うような、そんな走り書きの塊のようなそれ。
「紙の上、それだけの存在だとしても、みんな生きている。だから、創った人はその分だけ受け止める義務がある」
鞄の中に手を入れたYは、すぐに目当てのものを見つけたらしい。取り出されたノート。
 ボロボロの、ノート。
 「だけどまぁ、しあわせ≠ノなっちゃいけないって訳でもないし、しあわせ≠ナないイコール不幸≠チて訳でもないだろうし…。だからきっと、今はしあわせ≠ネんだ。そう認識してないだけで。だから、Kが心配するようなことは何にもないし、これから先不幸≠感じなくちゃいけない、そんなことも一切ない」
誰も聞いていない言葉。
「ただ、負の感情たちが私を可哀想に飾り立てるだけ。大丈夫なんだよ、何も心配することはない」
表紙を滑る視線、表紙で踊っているのは寝ぼけて描いたキャラクター。
「そうだよね? ―――いずみ」
 下手くそな落書きが、笑ったような気がした。

***

風が吹いている 

 いつからだろう。そんな問答は不要だった。私はずっと憶えている。あの、不思議な一月十三日。私は誰かに救われて、私は生き残った。それを知るのは私だけで、この話を誰かにしたことはない。
 その日から私は生き残ってはいけなかったのに生き残った人間となってしまった。本当はそうじゃあないのは分かっている。あの不思議なひとは(もしかしたらひとではないのかもしれなかったけれど)、大きくなるにつれて鏡の中に現れて、ああなんだそういうことなのかと私を納得させた。
 あれはきっと、自己救済だったのだ。私が私を助ける、誰も助けてくれないから。一番ひどい終わり方を回避する、そのための采配。それを分かってしまった私は賢かっただろうか、可哀想に賢かっただろうか、その解えまでは私は持たない。
「今すぐ死んじゃえば良いのになぁ」
けれどもそれを出来ないのは生かされたという事実があるからか。誰かがその生命を投げ打って、今この身を生かしているという現実は、私にとってはひどく重たかった。頼んでない、頼んでない、頼んでない。それでも私は律儀に報いるのだ。カッターナイフを捨てて、明日の献立を考えるのだ。

***

ゆがみ。 

 ―――人によって態度変わるよねー。
当たり前だろ、全部に一緒なんて気持ちが悪いだけだ。
―――いい子ぶってるっていうか。
それはお前がそう出来ないだけの話だろう。
―――気に入られたがり?
嫌われるよりは、まあ、マシだろう。
「でも結局」
 それは耳に届く。あァ、と息が漏れる。聞こえるな、聞こえるな、あんな馬鹿たちと私は一緒の存在ではないのだ。
「独りきりでしょう?」
演じてる訳じゃない。強いて言うのならば私≠ェ勝手に動いているだけで。本物? そんなもの、本当はとうに見失っているのかもしれない。あァ、二度目のため息。きっとそれは今度こそ彼女に聞こえていた。
 今日も、蟲が蠢く。

***

ひどい片思い 

 箱詰めして美しく見えれば常にその裏側がただれていたって構わない、それが物語の法則だった。何もかも作ってみせればそれを無様だと笑う人間は少しは切り捨てることが出来るのだと、そう教えてくれたのは大嫌いなやつだったけれども。
 そう、だからこれは未練だった。それもまた、箱詰めにすれば純愛のように見えるのだ。だって人間は自己犠牲が大好きで、大好きで、どうしようもないのだから。貴方が笑ってくれればアタシはこの世界を造ってよかったって、生きててよかったって、そう思えるんだ。そんなふうに、自分を騙して。
―――単純な願い。
 アタシの幸せの貴方の幸せ。紛いもののアタシの幸せ。
 貴方の幸せは、アタシの幸せ。

***

振り返って忘れないで忘れて 

 自分の本当の役目をしっかり分かっている人間というのは一体全体どれくらいいるのだろう。そんなことを思う、と呟くと友人である彼女はへえ、と言った。
「難しいこと考えるんだね、Kは」
まるでJポップの歌詞みたい、と笑う。その笑みは何処までも嘘くさい。嘘くさくて、とても本物とは思えない。
 だからだろう、みんなが彼女のことを道化師と笑えば良いと思っていた。きっと彼女は怒るだろうけれど、彼女は愚かだと分かっている。分かっていてやっている。だけれどたまに分かりすぎて忘れてしまうことがあるから。
 誰かに知らせて欲しいのだ。
 自分以外の、誰かに。

***

ライン 

 失恋をした。こんな箱庭の中の夢でも馬鹿馬鹿しいものを繰り返すのは、それだけご主人様の心の中にこれが残っているからだ。相手の名前も充分に知らないのに勝手に出来ていた設定、アタシの設定、なんだか一途なんだかストーカー手前なんだか分からない程度の恋愛模様。
 焦燥だけが植え付けられた偽りの青春。
 嘘だと分かっているのに、好きになりたくなかった≠ネんて、どれだけ泣いてもどれだけ叫んでもプライドが崩壊したって言えなくて。
―――演技だわ、こんなの。
そう思うのに、何ひとつ進展しない。
 「アタシ、それでも貴方のことが好きだったのよ」
それは本当、と言うのもなんだか、言い訳じみて聞こえた。

***

固有の主人を持たないことになっておりますので 

 ぐにゃり、と世界が回る。鉛筆でもだめ、ボールペンでもだめ、万年筆でもだめ。だってアタシなんてものは本当は何処にもいないから。顔も知らないご主人様の言う通りにしてやるほど優しくないアタシは一人であっちこっち踊っているけれども、これが限界なのかもしれなかった。
「真似事をしてみてもうまくはいかないものもあるのね。だって本物は何処にもいないんだもの」
あの世界で、真似事だと認識しないままに道化を演じていれば良かったのか。
 正解なんて誰もくれない。

***

境界線を綱渡り 

 放課後の音がする。そういえばこの世界はいつも放課後な気がする。だって授業なんて意味がないんだから、そんなシーン作る必要がない。テレビも本当は要らない。でもないと可笑しいから、作っているだけで。
「楽しいことって、あったらあったで寂しくなるよね」
楽しいニュースしか流さないテレビ。どうして放課後の教室で、教室備え付けのテレビの電源が入っているのかよく分からない。
 殺人事件も事故もテロもない。
 誰も悲しまないし誰も死なない。そんな世界なのに。
「Yはさ、ネガティヴすぎんだよ」
友人は、Aとしか呼ばれない友人は真っ直ぐな目でこちらを見る。
「そうかなあ」
「そうだよ。もっと楽天的になろ」
「なれたら苦労してないかも」
「そうだね」
 笑ったらそれ以上何も言われなかった。
 明日の天気は晴れだそうだ。それ以外の天気を、知らないでいる。



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***

楽しむためにはバレてはいけない 

 じっと友人がアタシを見つめている。
「ねえYってさ、」
「ん?」
「何でいつも笑ってるの?」
「え」
キョトン、とした顔が出来たと思う。
「そんなに気になるほど笑ってる?」
そんなつもりはないんだけど、と付け足せば、いや別に、との答え。
「気になっただけ」
「なーんだ」
よかったー。そのあとに続くじゃあばいばーい、また明日。
 友人が出て行って、誰もいなくなった教室で。アタシはやっと息を吐く。
―――ああ、バレたのかと思った。
この世界で、この学校しかない世界で、アタシだけがすべてを知っている。
―――みんなを欺いていること。

***

休日の放課後 

 どうしてこの世界にも電車なんかがあるのだろうと思う。だって何処にも行けないはずなのに。この世界は私の思考の、しかも更に切り取られた部分で成り立っているのだから。
 中学生の時に都市まで出たことのない私≠ヘその先をそうぞう¥o来ないのだ。
「明日は何処行く?」
Sが聞いてくる。
 だから私は笑って答える。
「県庁所在地」
 その名前も言えないくせして。



20170423