蒼 蒼い空が広がっていた。雲が疎らに散らばるいつもと同じ空。なのに彼女には、それがとても美しいものであるかのように見えた。とても尊いもの、もしくはそれ以上に思えた。 「綺麗デショ?」 銀色の髪が揺れる。こくり、と頷いた。心臓が少しはやく打つくらい、綺麗だ。 何処かでやわらかな鈴の音がする。 「お客サン、カナ」 それは黎明堂の来客を告げる音。 「涼水はどうすル?」 傾げられたその細い首は、選択肢を掲げている。接客をするか、此処で空を見ているか。少し考えた後、控え目に問う。もう少し、見ていても良いかと。 それを聞いたいずみは良いヨ、と笑って樹から飛び降りた。 「冷えない内に帰っておいでヨ」 小さな手がヒラヒラと振られる。手を振り返してから、また空を見上げた。 あおい、蒼い空が広がっていた。彼女を、この店を、この世界全てを、包み込むかのように。 蒼い空が広がっていた。 * 20070818(執筆時) 20120903 改訂 *** がじゅまるの樹 涼水は顔を上げた。風に乗って何かが聴こえる。耳を澄ませてみれば、それが音ではなく幽かな歌声であると分かった。 声を辿り庭を歩いていく。庭の奥へ、声は少しずつ大きくなっていく。奥へ、奥へ、森のように生い茂る木々の間を抜けると、突然、開けた場所に出た。 陽の光がやわらかく差すそこには大きな樹。そして、その樹の枝には、 「いずみ…?」 小さな店主がちょこんと腰掛け、空に向かって歌っていた。 「アレ、涼水」 歌がふつりと止んで、涼水に気付いたいずみがこちらを見る。 「聴かれちゃっタ?」 照れくさそうに笑う彼を見て、涼水も微笑む。 「綺麗だったよ、いずみ」 涼水が本心からそう言うと、銀色の少年は顔を背けてしまうのだった。 「此処、来ル?」 いずみは自分の横を軽く叩く。 「うん、行く」 「じゃア、裏に梯子あるカラ登っておいでヨ」 言われた通りに樹の裏に回れば、細い梯子を見つけた。いずみ用なのだろうか、そんなことを考えながら手をかけた。 二人は大きな樹の上に並んで座っていた。 「さっき、何の歌歌ってたの?」 「ンー…死者へノ祈りの歌」 空ばかり見て涼水の方へ顔を向けようとしないいずみ。まだ照れているのだろう。 「死者への祈り?」 「ウン。聖歌みたいなのダと思ってくれれバ良いヨ」 「ふーん…」 同じように空を見上げる。蒼い空だった。 「何でまた聖歌なんか」 視線は空のままで問いかける。 「…この世界ではネ、人がたくさん死んでル…。それは僕たちに関係のあルことだったリ、なイことだったリ、その時それぞれに違ウ。だケド、だけどネ…」 一旦言葉が途切れた。 「だけど?」 「僕には時々、ホントに時々…その全てが僕の所為のようナ気がするんダ。関係のなイことまでもガ。何でだろうネ、僕にも分からないんだケド」 どきり、と胸が疼いた。訳も分からずに、いずみの言うことは良く分かると思った。 「だから、歌ってたんだ」 息を吐いて視線を戻す。 「ね。もう一回、歌ってくれない?」 驚いた顔をして、やっとその瞳がこちらを向いた。 いずみは歌っていた。澄んでいて空気に消えていくようなメロディ。目を閉じて聴く。何処の言葉かは分からない、だけど、不思議にとてもあたたかい。 歌が終わる。涼水はゆっくりと目を開けた。 「綺麗、だった」 やっぱりいずみは照れくさそうに笑って、まるでそれを紛らわすかのように、 「もっト綺麗なモノ、あるヨ」 嘘のない表情で指差すのだ。 太陽が、頂点から降り始めていた。 * 20070818(執筆時) 20120903 改訂 *** ある日の午後のこと。 由来 「私の名前も由来あるのかなぁ」 お昼ご飯を済ませて、居間でテレビを見ていた涼水が呟く。ちょうどやっていたのは芸能人の名前の由来特集。 「どうだろうネ、最近は響きを重視する親御さんもいるからネェ」 ずず、とお茶を啜りいずみが返した。 「私のは分かんないとして、いずみのはどうなの?」 「僕?」 「うん、名前の由来」 興味津々で見つめてくる涼水に、いずみはふわりと笑う。 「由来っていうカ…意味ならあるヨ」 「へーどんな意味?」 「心の安らぎ≠セっテ」 あまりにそれは優しげな表情だった。それに惹かれるように、言葉が涼水の口を転がり出る。 「…誰が付けてくれたの?」 両親、は違うと思った。ただの勘だったが。 「…とってモ大切な人、だヨ」 「そっか」 涼水は笑う。 「素敵だね。私の名前も素敵な意味があるといいなぁ」 それ以上は聞けなかった。 * 20071001 20120903 改訂 *** 白狐の黎明堂で深夜、断末魔が響いた。 マッサージ=恐怖!?(※人によります) 「し、死ぬ…ッ」 「死なないカラ暴れないデ」 ぐっといずみが背中を押すと四肢をばたつかせる綺麗な人。この人が今回の客である。店に来るなりいつものよろしく! とマッサージが始まったのだが、常連なのだろうか。 「マドレーヌ、暴れないデってバ」 「む、無理! 痛いもん!これは本能だ!」 しかしとても綺麗なのに、この状態は非常に残念である。 「体操サボってるデショ」 「だ、だってちょっとプロジェクト中で」 「それでもやレ」 「す、すみません…」 すんすんと鼻をすする音がする。なんて言うか、やっぱり非常に残念だ。 「ア、涼水、お使い買い出し頼めル?」 「良いよー何買ってくれば良い?」 「ハードのお灸。いつものやつっテ言ったら分かル?」 「分かるよ。行ってくるね」 「気を付けテー」 店を出ていく涼水の背をまたも悲鳴が追いかけてきたのは言うまでもない。 いつもの通り門をくぐり抜け見慣れた商店街に降り立った。今日も良い天気だ。ドラッグストアで頼まれたものを買って、ついでにおやつも買って帰る。今日のおやつは牧場直送バニラアイスだ。 「ただいまー」 涼水が店に戻るとマドレーヌは大人しくなっていた。 「おかえリ、ありがト」 袋ごと手渡す。 「おやつ買ってきたけど、食べれる?」 「ウン、これ終わったラ食べるヨ。先食べてても良いヨー」 「良かった。待ってるよ…マドレーヌさんは寝てるの?」 悪夢でも見ているのか時折ぴくぴくする背中を見る。 「イヤ…多分、ツボに入りすぎたダケ」 マッサージで気絶した人を見たのは初めてだと思った。 夕方。長い長い治療は終わりを告げ、来た時より格段にきらきらしているマドレーヌがそこにいた。 「痛いけど、これ以外にすっきりするのもないんだよねー」 さいですか。玄関まで送る。 「あ、あの、マドレーヌさん」 「え、涼水ちゃんまでそんな名前で呼ぶの!? それ、いずみと草希がふざけて付けたあだ名だから、できたら部長って呼んでもらえると嬉しいな〜」 笑顔を向けられて、危うく爽やかオーラに当てられるかところだった。かっこいい。 「えと…じゃあ部長さん。いずみが何者なのか、知ってますか」 ずっと、気になっていたこと。この大きな屋敷は子供が一人で住むには広すぎるし、諸々の料金の請求書の類も見たことがないし、大半を手伝わせては貰えない仕事のことだってある。謎すぎるのだ、いずみは。 最初はきょとんとしていた部長だったが、突然ふっと噴き出した。 「えっ、何で笑うんですかっ」 「いやだって…いずみが何者って…」 何がそんなにツボったのだろう。一頻り笑ってから、部長は涼水に向き直った。 「いずみはいずみだよ」 一言。 「確かに謎な所は多いけど、あの子はただの生意気な子供。何があるわけでもなく、あの子はあの子でしかないよ」 それだけ残して、帰って行った。 「…誤魔化された…」 むくれても、何も分からない。 白狐の黎明堂の門を部長はくぐった。その後ろで景色が少し歪む。 「…涼水ちゃんは本当に何にも知らないんだ」 静かな言葉に応えようとするかのように樹々がざわめく。 「それはあまりに過保護なんじゃないの」 樹々のざわめきが止む。そこはただの会議室のようだった。樹など、何処にもなかった。 * 部長(もしくはマドレーヌ) * 20061221(執筆時) 20120903 改訂 *** ざあざあ降りのひどい雨の日だった。 可愛いかわいいオヒメサマ 「いずみー」 来訪を告げる鈴の音の後に、間延びして店主を呼ぶ声。 「アレ、イザ子来るなんテ言ってたっケ…涼水、お願イ」 「はーい」 迎える為に玄関へと向う。 「どうしたんですか、突然…」 途切れた。ずぶ濡れの点に突っ込みたいわけではない。 「その子、誰です?」 長い紫の髪、星の光が踊る大きな瞳、それをふちどる長い睫。絵本の中から抜け出して来たお姫様のようだ。 「この子のことでちょっとね…」 珍しく、イザヨイが真剣な顔をしていた。 「はい。熱いので気を付けてください」 紅茶を出す。少女は涼水を一瞥しただけで何も言わなかった。涼水はいずみの隣に座る。 「…厄介事カ」 「良く分かってんじゃん」 イザヨイは笑う。 「デ、この子をどうしろト?」 少女の方を見やる。少女はいずみを睨みつけていたが、イザヨイに突っつかれて喉を整えた。 「タカナシカカシと申します。字は鳳の梨に鹿が驚くと書きます」 「あァ、あそこのお嬢さんカ」 え、という顔をする鹿驚。 「いずみに偽名は使わなくて良かったのに」 「…いえ、私(わたくし)はこれからこの名で生きると決めましたから」 ぎゅう、と膝の上で握られる小さな手は、どう見ても生まれ持った名前を棄てることの寂しさではなかった。自分の出自を見破られた悔しさのように見えた。 「とりあえズ、二人は席外しテ。十六夜と話するカラ」 有無を言わさない強さでいずみが言う。席を外すことに慣れている涼水は立ち上がり、鹿驚に向き直った。 「では、こちらに、」 「どうして?」 遮られる。 「私の今後について、でしょう? どうして私も席を外さないといけないのです?」 口調は丁寧、語尾も強くはない。だけど、自分が優位にいるという自信を、何処からか感じさせた。いずみは鹿驚の方さえ向かない。 「聞こえなかっタ? 席を外して欲しイと言ったんダ」 「理由が分かりません。どうして私が、」 音はなかった。気付いたら、という形容が一番当っている。 「分からなイ?」 いつもと変わらぬ調子でいずみが聞く。 「君はマモラレルガワ≠ネんダ。いつもの地位はなイ」 つぅ、と首筋を滑った指先に耐えられなくなったのか鹿驚が飛び退く。 「何で、貴方、さっきまであちらに、」 全ての表情を消し去ったいずみは、一瞬で鹿驚の後ろに立っていた。きっと、瞬きするくらいに速かった。 「此処では僕がルールダ。それ以上モそれ以下もなイ。サ、向こうの部屋ヘ」 にこり、と笑うがさっきまでの表情の所為で作り物にしか見えない。 「…ッ」 鹿驚は少し俯いてドアに向う。 「涼水モ」 「あ、うん」 悔しそうな表情だと思った。 「別に、あそこまでしなくても」 「お姫様には良い薬になったんじゃなイ?」 にま、と浮かべられた笑顔にイザヨイは盛大にため息を吐く。 「全く…。ほんと、アンタってサディスティック」 「そんなことないヨ〜。デ、どれくらいで片付ク?」 「んー…一週間。それで片付ける」 「大丈夫? 国家一つ敵に回しテ」 「大丈夫、大丈夫。ノープロブレム。消しちゃえば良いし」 今度はいずみがため息を吐いた。 「立派なテロリストだヨ…」 「えーっ。素敵なサイエンティストって言ってよ」 「無理があル」 笑いあって、 「気をつけてネ」 「もったいない言葉をありがと」 イザヨイは姿を消す。 「一週間、騒がしくなるナァ…」 そんな予想は、雨の音に掻き消された。 * 鳳梨鹿驚(たかなしかかし) * 20070916 20120903 改訂 *** 涼水は何処からかその風景を見ていた。知らない場所、だけど知っている…? いや、違う。涼水は思い直す。これは自分のものではない、誰かと共鳴しているのだ。根拠も何もなかったけれど、涼水は確信していた。これは、自分のものではない。 華胥の夢 廃墟の中。たくさん並ぶ高い建物が、天井に空いた穴から見える。蒼い空を雲が速いスピードで流れていく。そこに人がいた。 『一緒に来ないか?』 男性が話しかけている相手は幼い子供だった。 『だぁれ?』 小首を傾げる様子が可愛いのか、男性は笑う。笑って、風に光る幼子の髪を掬う。 『社長と呼ばれている』 『しゃちょう?』 幼子は手を伸ばした。 『そうだ。それ以外に名前は無い。あったけれど捨てた』 『なまえ…ないよ、もってないよ』 伸ばされた小さな手をあやしながら、男性は驚いたように幼子を見つめ直す。 『名前がないのか?』 『ないよ。しらない。それなぁに?』 くすくす、と無邪気な笑い声。 『そうか…』 社長は愛おしそうに幼子を抱き上げる。 『では、私が付けてやろう』 『なまえ? くれるの?』 『お前が私のものになるならな』 幼子は一瞬キョトンとした。それからすぐに笑ってその首にじゃれつく。 『じゃあ、しゃちょうのものになる』 『もう少し大きくなってから言って欲しいんだがな…』 社長は幼子に微笑みかけると歩き出した。 『お前はアンナだ』 『あんな?』 『ああ。でもそれは私のものになった時にやろう。それまでお前は―――だ』 後の名前は聞こえなかった。 『うん! ―――だね』 幼子は社長の腕の中で喜ぶ。 『僕は―――です、繰り返してごらん?』 『ぼくは、―――、です』 『良い子だ』 頭を撫でた。幼子は気持ち良さそうにしている。 『悪い虫が付かないと良いな…。―――、愛している』 額に触れるだけのキス。幼子はやっぱり嬉しそうに笑っていた。 * 「ん…」 涼水は目を覚ました。どうやら店番の途中で昼寝してしまったようだ。 「起きタ?」 顔を上げるとそこには此処の店長が。 「ごめん、いずみ…」 「ううン、良いヨ。こんな二あったかいんだシ」 店の窓からは暖かい春の日差しが差し込んでいた。 「あ、そうそう、いずみ」 涼水は立ち上がった。その瞬間に、何かがずり落ちる。 「?」 タオルケットだった。涼水が冷えないように、意図的に掛けられたもの。 「涼水? 何?」 いずみは外を見ながら、足をブラブラさせている。涼水は笑って、自分にそれを掛けてくれたであろう人物に話し出すのだった。 「あのね、夢を見たの―――」 * 20080904 20120903 改訂 *** 知らない世界への扉を開く。 インスィディクト 「って、まじでここどこ」 涼水は辺りを見回した。自分はさっき、今日の夕飯の買い出しに行こうと店を出たはずだ。門をくぐったら、いつもの商店街…のはずなのだけど。ここはどこだ。 見渡す限りの青、まるで水の中にいるかのように錯覚する。周りが揺れているのだ。恐らく、光で。 『―――……』 何か、訊こえた。 「誰かいるの…?」 涼水は辺りを再び見回した。 『―――……―――……』 透き通るような声。だけど、何を言っているのか分からない。 「どこにいるの?」 涼水は歩き出した。声のする方に向かって。 その頃、白狐の黎明堂では。 「涼水が違う空間へ行っちゃっタ」 いずみが俯いて言った。 「な!? それどーいうこと!?」 「何があったの!?」 草希と十六夜が身を乗り出す。 「仕事から帰ってきテ…扉、そのままにしてタ…」 二人は顔を見合わせ、ため息を吐いた。 「それはいずみが悪いね」 草希の言葉にこくりと頷くいずみ。 「黒いトコに行かなかっタだけマシなのカモ。涼水、あそこに行っタ。…僕の入れなイ、青いトコ」 二人が同時に目を見開くのが見えた。 『―――……―――……』 何を言っているのかはまだ分からなかった。でも、近づいてきてはいる。 「あれ?」 違和感に気付いて手を伸ばす。 「何、これ」 音もなく、涼水の触れたところから波紋が広がった。 「壁…かなぁ」 そこは行き止まりの壁のようにも見えた。涼水が考えていると、すぅ、と目の前の壁らしきものが少しずつ透けていって、 「え…」 一瞬はっきりと向こう側が見える。涼水が言葉を漏らすと同時に、彼女の足元が崩れ始めた。 涼水は落ちていく。その中で、意識を失った。 「…涼水!!」 「あれ…」 目を開けると、目の前にいずみの顔があった。 「此処、何処」 「何処っテ店だヨ」 「…そう」 涼水は一度目を閉じる。 「涼水、何か見たノ?」 ゆっくりと目を開けた。そのままいずみに視線を移す。 「何も」 「…そウ」 「夕飯、作るね」 涼水は立ち上がった。 「うン、頼んダ」 「頼まれた」 いつものように会話する。 何も見なかったなんて、もちろん嘘。確かに見た、確かに居た。壁の向こうに涼水が見たのは、 ―――いずみにそっくりの、少女。 * 20080904 20120903 改訂 *** 「困ったナァ。長すぎル」 いずみの手元にあるのは最低所要日数を計算した紙。どうやっても七日はかかる計算である。 留守番 これはまだ、涼水が黎明堂へ来たばかりの時の話。 「っテことなんだヨ」 かくかくしかじか。話を聞いていた草希とイザヨイは目の前の子供を見つめた。 「って言うけど、涼水だって十四歳でしょ?」 「まダ十四歳ジャン」 「アンタ、それイザヨイ見ても言える?」 イザヨイも十四歳ではある。が、 「十六夜は規格外」 「それ褒め言葉ー?」 「ウン」 「ごめん、私が悪かったわ」 草希が手を上げて降参を示す。 「でも、此処そんなに危険なものある?」 「どっちかっテ言うと、僕の留守中に来客があルことの方が怖イ…カナ」 確かに、と二人が頷く。 「仕方ないね」 「手伝ってあげるよ」 にや、と笑ったイザヨイと、ため息を吐いた草希にいずみはほっと息を吐いた。 「涼水、今日から一週間くらイ草希と十六夜と留守番してネ。僕は出掛けて来るカラ。ア、お土産もちゃんト買って来るカラ安心してネ!」 「えっ、ちょ、どういう」 涼水が全てを言い終わる前にいずみの姿は消えていた。 「えー…」 途方に暮れた涼水を残して。それを物陰から伺っていた二人は顔を見合わせて、 「すーずーちゃーんっ」 その背中にタックルをかましたのだった。波乱めいた一週間の予感を引き連れて。 * 霞彩草希(かさいそうき) * 20100407 20120903 改訂 *** ポルタアポルタア 「どうぞ」 お茶を置くと、客はあからさまにギョッと身を竦めた。 「私はちゃんと人間ですよ」 苦笑いして言えばほっと力を抜いて貰えた。 此処に来る客は様々で、仕事もとてつもなく大変なものから言っては悪いが簡単なものまで幅があるらしい。らしいと言うのは、大変な仕事については一切関わってないからだ。いずみは私がそういう仕事に関わることを望まない。今回のように普通の仕事の場合は手伝うのだが。 「分かりましタ、依頼をお受けしまショウ」 いずみがコップを置く。 「アルト、倉庫にコロコロあるはずだカラ持って来テ」 客の肩がびくりと揺れた。 「いずみ、私持って来ようか?」 「涼水は僕と一緒に行くんだカラ用意しといてヨ」 キョトンとした顔を向けられて、何故私が申し出たのか分かっていないのだと確信する。はぁ、とため息を吐いて鞄やら防寒具やらを用意していると、廊下の方から音がした。キャスターが床を擦る音。 「ヒャア!」 客が悲鳴をあげて、私はまたため息を吐く。視線の先には一人で廊下を滑って来た荷台。先程のいずみの指示通りに此処の従業員が持ってきただけで、一つも可笑しいことなどない。その従業員が幽霊だということを除けば。 「…すみません」 自分と同じく見えない人である客に小さく謝る。私も来た当時はひどく驚かされたが、二年もすれば慣れてしまう。ポルターガイストばりのこの現象は、良く客を驚かせている。 「私も見えませんが、多分悪いものじゃあないと思うので気にしないであげてください…」 此処で唯一の生きた従業員である私は、そう苦笑して客に謝ることしか出来ない。 * 20130226 *** それはとある自称マッドサイエンティストが引き起こした可愛らしい事件の、その裏側のうちの一つ。 うらばなし 『アールト』 妙に高い声で、サングラスをかけた長身で髪を一括りにした、しかし半透明な男が少年を呼んだ。 『何だよ、カマ親父』 アルトと呼ばれた少年は面倒くさそうなのを隠そうともせずそちらに視線をやる。 『別にオカマのつもりはないわよぉ』 『さいで』 その辺に関して何を言っても無駄だと分かっているのでそれ以上は言わない。呆れも入るがこれがいつもの会話である。 『なんか用か』 『そうそう、忘れるところだったわ』 お前は鶏以下かと出かかった言葉をぐっと飲み込む。残念なことに、アルトがこの同僚の男・ステファニーに口で勝ったことはない。そもそも勝ち負けがないような状態にしてくる奴ではあるのだが。毎度毎度不戦敗という感じになるのである。何がいけないと言うのだろう、経験の差だろうか。 『あのね、欠片のお嬢ちゃんがアタシたちを視れるようになってるみたいなのよ!』 さっき話して来ちゃったーやっぱり良い子よね、あの子! と嬉しそうに続けるステファニーに、アルトは呆けた顔しか出来ない。欠片のお嬢ちゃんというのはこの白狐の黎明堂で働く唯一の生きた従業員、涼水のことだ。いずみについては一応は此処の社長であるという体なので、この数には含まれない。ステファニーが用いる彼女の呼称については面倒なあれやこれやが関係してくるので割愛、である。 『あの、な…』 アルトが真顔に戻るのは早かった。 『今日はエイプリルフールじゃねぇの。涼水には霊感が全くないっていずみも言ってただろ。ああいうのってどうしても生来のものだし、別段封印とかされてる訳でもないから、一生俺たちの姿を視ることはないだろうって』 まぁ視えない人間に視えるようにさせる方法がない訳ではないのだが、それを慎重ないずみがホイホイやる訳もない。 『それがね〜イザヨイが前から言ってた薬の開発にやっと成功したらしいの』 『前から言ってたって、あれか。ヨクミエ〜ルか』 『そ。その改良版。レイミエ〜ルに改名したらしいけどね』 正直名称はどうでも良い。 『ね、行ってきなさいよ』 『…何処に』 にこにこと満面の笑みを湛えるステファニーに嫌な顔を見せつつ、苦々しくアルトは尋ねる。 『お嬢ちゃんのところに決まってるじゃない!』 『何で俺が…』 『ついでに武器庫まで付いて行ってあげなさいな』 『何で俺が!!』 武器庫という不穏な言葉にピリッと忘れていた怒りが湧いてきた。 『お嬢ちゃんあそこ怖いみたいだし。一緒に行ってあげれば好感度アップよ。それにね、アンタたちが喧嘩したままだとアタシたちも気まずいのよ』 『別に好感度なんか上げたくねぇし、っていうか最後が目的だろ』 『あ、バレた〜?』 きゃらきゃらと笑い声をあげながらステファニーはアルトの背を押す。 『アンタたち、めんどくさいのよ。まぁそういうのも青春の醍醐味っていうか、良いとは思うけどね。しょっちゅう巻き込まれるアタシの身にもなってみなさいな。あと新人も入ったんだからいい加減落ち着きなさいよ』 『…アイツには言わないのかよ』 『もう言ったわ』 『さいで』 いってらっしゃ〜い、ときらきらした笑顔で部屋から閉めだされたアルトは、はぁ、と大きくため息を吐いた。 『…くそ。あの親父、変な気回しやがって』 涼水に抱いている感情も、同僚のアイツといがみ合っている訳も、お見通しと言われているようで。きっと、生きていれば頬が赤く染まっていることだろう。 『…仕方ねぇ』 此処まで御膳立てされてしまえば乗らない手はないのだろう。呟いて、涼水がいるであろう居間へと向かう。 涼水が叫び声を上げるまで、あと少し。 * 20130910 |