廃ビルでの邂逅 神無咲十六夜―――いや、イザヨイは、かつん、と踵を鳴らしてその部屋へと入った。中にいた男がすっと背筋を伸ばす。 「神無咲様、お待ちしておりました」 クライアントの男は頭を下げた。 「この度お呼び立てさせて頂きました、櫻田カンガルーでございます」 自分よりも一回りも二回りも年下であろう子供にも頭を下げるのは、此処が表の世界ではないからか。 子供が弱いとは限らない。 それが、裏社会というものに身を沈めた者たちの暗黙の了解だった。依頼という形をとっている以上、其処が裏社会とは言え最低限の礼節は必要不可欠なのではあるが。 「こちらが今回の資料となります。もしも不備がありましたら何なりと」 この男、食えない。貰った資料を眺めながらイザヨイはそう思う。その身から溢れんばかりの殺気を放って威嚇してみていると言うのに、顔色一つ変えずににこにこしている。裏社会で生き延びているだけあって、これしきの殺気など慣れているとでも言うのか。 「………もう一組、資料があるようですが」 「ああ、これは後から来る方の分ですよ」 どうやら遅刻のようですね、と男は笑った。 後から来る。 「それは、私に引き合わせるということでしょうか」 「ええ。今回ワタクシは貴方ともうお一人で、組んで任務にあたっていただきたいと考えております」 思わず、顔が歪むのを感じた。組んで、任務にあたるなど。むっとしたのが伝わったのだろう、男はほっほと声を上げた。 「協力というものも、経験して困るものではないでしょう」 相変わらずその表情は柔和なままだ。やはり、くえない。 「…協力なんて、雑魚がするものでしょ」 それは、独り言で終わるはずだった。 「そうカナァ?」 ばっと飛び退く。 ととん、とイザヨイの放った数本のナイフを、そいつは華麗に避けて見せた。 「筑紫様」 「ヤ、櫻田サン。お久しぶりデス〜」 どうやら知り合いらしい。 「遅くなっテ、ホントにすみまセン。ちょっト厄介事ニ巻き込まれてしまっテ」 筑紫と呼ばれた影は小さかった。イザヨイよりも一回り二回り。イザヨイが諸々の理由で身体が大きいとは言え、もしかしたらイザヨイよりもはるかに年下かもしれない。男が差し出した資料を受け取るために、そいつは踏み出した。顔が、見える。 身長に反して、その横顔は妙に大人びているように見えた。無造作に括られた銀色の髪が特徴的だ。目が色を視認出来ないほど細いのは、まだ造形が子供のそれだからかもしれない。服で完全に隠されている訳ではない身体は細く、成長期に栄養が充分とれなかったようにも思える。肌も白いを通り越して青いという方が近いし、なんというか、今にも死にそうだ。 そして更にその印象を強くしているのが服だった。着物を着ている人間だったら珍しくない。着流しもまた然りだ。しかし、目の前のそいつが着ているのはどう見ても死に装束だった。今では白が一般的だろうが、地域的に黒を使うところも残っていることをイザヨイは知っている。 「資料ありがトございマス〜。イヤ〜毎回櫻田サンの資料は丁寧ですネ。助かりマス」 当の本人はイザヨイが奇異の表情で見ていることなんかお構いなしに、資料を読み進めていた。図太い。 「ア、そっカ。君が今回の相棒サンだネ?」 くるり、とこちらを見た顔は笑っているようにも見えた。けれどもそれはただ元々の造形がそうだと言うだけで、そいつ自身は笑っているつもりなどないのだろう。独特のイントネーションをしている、と思った。まるで、外国語圏からやって来たとでも言うような。 すっと、手が差し出される。イザヨイが睨みつけても、怯みもしない。 「握手だヨー」 それは見れば分かる、ともう一度睨みつけた。 「筑紫いずみデス。気軽ニいずみって呼んでネ。筑紫っていうのハ…アー…養子縁組しタようなモンだカラ、まダ慣れてないんダ」 そんなこと知るか、と言わんばかりにイザヨイはふいっと顔を逸らす。 「私は協力なんてしない。時間に遅れてくるような奴なら尚更」 「アー…そう来ル…」 いずみはぽりぽりと頬を掻いて見せると、まぁいっか、と呟いた。協力という体勢に好意的なのかと思いきや、そうでもないらしい。どうでも良い、そう言うのが近いだろうか。 「マ、どうセ嫌デモ一緒に仕事すルことになるんだカラ」 「誰…ッが!!」 「僕と、君ガ」 ご丁寧に指で示される。どうやら人を指差すな、という教育は受けていないらしい。 「明日偵察デ、明後日実行デショ〜。まァ死ななイ程度に任務遂行しようネ〜」 じゃ、とその小さな手を振ったかと思うと、くるりと向けられた背中は消えた。 「…ッ。何なんだ、アイツ…!!」 苛々と言葉を漏らしながらイザヨイも続いて部屋を飛び出す。 追うのは遠くなりかけているいずみの気配、それだけだった。 *** お客様 この辺りは廃墟ばかりだ。珍しくもなんともない。人がいるようないないような、滅びて栄えて、それを繰り返して世界は回っている。 ざっと、追っている気配が止まったのが分かった。 「見つけた…ッ!?」 その幼い背中を視界に捉えた瞬間、他のものにも気付く。 というか、状況的にイザヨイが飛び込んだ、というのが正しいのだろうか。いずみに向けられる、無数の殺気の渦の中へと。あーあ、といずみは呟いた。 「追いついちゃったカ〜」 実力は申し分ないようだね、と言われてつい言い返そうとするも、振り向いたいずみの表情に言葉を失った。 さきほどまでの飄々とした空気が薄まっている。それだけで、それだけなのに、イザヨイはつばを飲み込んだ。 「まァ、勝手ニ追いついタのそっちだシ、自分のことは自分デやってネ」 いずみがそう言うのと同時に、イザヨイの後ろから大集団が飛び出してきた。ばっとイザヨイが飛び退くのと同時に、いずみが何処から出したのかトンファーで手近な人間を屠っていく。耳障りな金属音と立て続けに鳴り響く銃声、男が指示を出す声。 ―――相手は一人だ。 ―――そこの子供も一緒に始末してしまえ。 ―――全員でかかればなんてことはない! 巻き込まれた、と思いながら向かってくる人間をとんとん、と避けてやる。此処で何かしら自分の手の内を晒すような真似はしたくない。これがいずみの策略でない確証などどこにもないのだから。 それから自分に降りかかる火の粉を払いつつ、いずみにも注意を払い続ける。あれがこちらを攻撃してくることはなさそうだが、念のためだ。そうしているうちに、廃ビルの中にあった爆弾を発見してしまった。結構な量である。配線を手早く変えると、ついでにあのちんちくりんも消えてくれないかな、とスイッチを押す。 次の瞬間火柱が上がった。派手である。よくこんなに材料を集めたなあ、と思う。 「わァ〜。これデ殆どいなくなったカナ?」 どうやらいずみは切り抜けたらしい。落胆と同時に期待が上がる音がした。首を振る。実力があるからと言って組んで仕事をするかと言えばそうではない。 いずみの呟きを聞いていたらしいリーダーであろう男は、きっといずみを睨み付けた。残りはリーダーとあと少しの部下だけのようだ。 「野郎…ッ子供だからって調子に乗りやがって…!」 「そちらサンがふっかけテ来タ喧嘩デショ?」 今思いっきり手柄横取りしたな、とイザヨイは思うがわざわざ突っ込むことはしない。あ、今の私がやりました、なんて言おうものならこのリーダーの怒りの矛先はイザヨイに向く。それは困る。面倒だし。 「ふざけんな!! これは喧嘩じゃねえ!!」 そこ突っ込むのか。 「ア、動かなイ方が良いヨ」 「今更命乞いなんてしても遅え!」 「イヤ、そうじゃなくテ…」 リーダーが一歩踏み出した瞬間、びん、と何かが張る音がした。一拍遅れてリーダーの背後で血飛沫が舞う。いつの間に仕込んだのだろうか。 「だカラ忠告したノニー」 仕込んでおいて使うつもりはなかったとでも言うつもりなのだろうか、いずみはただただ普通の表情でやれやれ、と首を振る。 リーダーが振り返る。いずみは何もしない。イザヨイもまた、何もしない。 リーダーの後ろに立っていた部下数名が、首をなくして倒れていく様など、珍しくもなんともない光景だから。 「て、めえ…」 「ン?」 「人の生命を何だと思ってやがる…!!」 「尊いモノ」 それはこんな状況で言う台詞ではない気がする。 「それをお前が言うのか!」 リーダーの言い分は尤もだ。 「だっテ僕忠告したシ。聞かないデ踏み出したのハそちらサンだシ…。そもそモ喧嘩売ってこなけれバみんな生きてたンじゃないノ? それニ一応僕にモ生命があるんだけどネ?」 「殺してやる!!」 最早話が通じていない。 踏み込んできたリーダーだったが、それよりもずっといずみの方が早かった。めしゃ、と固いものが固いものにめり込む音と一緒に、声とも音ともつかない叫びをあげてリーダーは倒れる。いずみがそれを見届けずにトンファーの血を払ったところで、イザヨイはあ、と声を上げた。 後ろから羽交い締めにされたのだ。 思い切り油断していた所為である。 「…何やってんノ?」 数秒間を置いていずみから発せられたのは、本当に意味が分からないというふうな問いかけだった。 「ははっ。見て分かんねーのかよ! 人質とったんだよ! 人質!!」 頭上のけたたましい喚き声で状況を理解する。まだ生き残りがいて、イザヨイは人質らしい。なるほど。………なるほど? 「だカラ?」 首を傾げるいずみ。 「お前がそこの銃で自分の頭ぶち抜いたら、この餓鬼の生命は助けてやるよ」 嘘だな、と思った。イザヨイの首にはぐいぐいとナイフが押し付けられている。多分切れている。痛いし。 それを聞いたいずみはふうん、と頷くとそのままトンファーを何処やらにしまい(多分袖の中とかだ)、そのまま踵を返そうとした。言わずもがな、銃が落ちている方向とは逆である。 「お、おい!」 焦ったのは人質までとった男だ。 「この餓鬼がどうなっても良いのか!?」 「いヤ…どーにモ出来ないと思うシ…」 じゃあ帰るね〜と手を振るいずみに、男は更に焦ってナイフを押し付けてくる。困った、このままだと本当に死ぬ。首だし、と思ったイザヨイはひょいっと男を投げ飛ばした。理解の出来ていない男が間抜けな顔で地面に叩き付けられる。 「見てないで助けてくれても良かったのに」 「助けたラ助けたデ怒りそうジャン? 十六夜は」 ぱちぱち、と能天気に手を叩くいずみを睨み付ける。 「…で呼ぶな」 「エ?」 「漢字で呼ぶな。次呼んだら殺す」 この名前は両親に貰った大切なものだった。けれども手垢のべたべたついたこの名前で生きられるはずもなく、かと言って捨てられるはずもなく。 「私の名前はカタカナだ」 「カンナザキイザヨイ?」 「それじゃあ全部カタカナだろ」 「神無咲十六夜」 「それじゃあ全部漢字だ」 「カンナザキ十六夜」 「逆だ逆!!」 困ったようにいずみが頬を掻いた。 「難しイ」 何とも言えない空気の中、さっきの男が泡を吹きながら死んでいった。 *** 20170423 |