こんな箱庭に真実なんかあってたまるものか 今日も今日とて物語を紡ぐ。それが何にもならないことを知っていて、誰かを傷付けるものだと知っていて、それでも紡ぐ。 自分が生きることと顔も知らない誰かを傷付けること。どちらが大切なのか馬鹿でも分かるだろう? 「あのせんせいにてんさいっていわれたことを、まにうけてるの?」 「…そんなことは言われてない」 「でもうつつはいわれたっておもってるわ」 でしょう? と今日も小首を傾げる幼影を現は無視する。 無視、したかった。 「あのひとは、じぶんのおもいどおりに、あなたをあやつることしか、かんがえていないのに?」 「…先生を、悪く言うな」 「うつつがせんせいをかばうのは、せんせいのことばをうそにしたくないだけでしょう?」 「違う」 「なにがちがうの?」 ばっと振り上げた手を見て微動だにしない子供に腹の辺りの痛みが走る。あなたもおなじなのね―――そうよね、と歪んだ唇が、その死神の名前を呼ぶ。 「ゆがみにおしえてもらえば?」 「…何を」 あの女に、下品なだけの女に何を教われというのか。 「このよのしんじつを」 *** 何もないはずなのに涙が出るの やってもいいよ、と言ったのは気まぐれだった。 「かがみ、お前にならこの生命、くれてやるよ」 世界に定められたサンドバックを愛しているなんて口走る素っ頓狂な少年を前にして、そんな言葉を吐いたのは気まぐれと、そして少しの嫌味だった。 だから、どうして頬が痛いのか、理解出来なかった。 「いのちをあげてもいいなんてほんきでおもっているの」 これも怒るんだな、と思ってびっくりした。正直びっくりした。びっくりしたのでその後普段ならとっていただろう、年上を殴るなんて、という行動には至ることが出来なかった。 「だからこひつじは、こじつじは、」 「………泣いて、いるのか」 「ないてないわ」 「………ごめん」 「なんにもわかってないひとにあやまられたくはないわ!!」 だからうつつはばかなのよお、といつもとは違う、本当に迷子になってしまった子供のような声で泣くものだから現には何を言うことも出来なかった。 ―――かがみ、お前に言ったことは嘘じゃないよ。 もしも現を止められるものがいるとしたらあの少年だけだ。あれがどういうものか知らないが、確かに現とは違う存在だ。 こんな箱庭の中で。 そんなことを思うのは間違っているのかもしれなかったが。 「ごめん」 「だからあ!」 「だから、ごめん」 「ばかばか! うつつのばか! だいきらい!」 「…最初からだろ」 伸ばした手が初めて触れた。 まるで何処にもいないかのように温度のない手だった。 「………お前は私だものな」 「なにかいったの、もうあやまらなくてもいいわ。うつつなんてだいきらいなんだから」 「嘘吐き」 *** 心の糸が切れる音 目の前は真っ暗だった。 当たり前だ、電気を消してあとは寝るだけで、この部屋には窓も何もなくて。いや正しくはあるのだけれども本棚で塞いでしまった。ような気がする。 「うつつはまだきづかないふりをするのね」 ぼう、と闇の中に浮かび上がるのはいつもの子供だった。 「じぶんはきづいてないっていうためだけに、こげつにしねっていうの。それがいちばんのちかみちだから」 「何の。っていうかアレは普通に死ねば良いと思う」 「ほら、すぐにそういうことをいう」 「お前が先に言ったんだろ」 その先もまた同じ会話が繰り返される。何も進まない、そう分かったのか子供は笑う。いつものように、馬鹿にした表情で。 子供の時の現はそんな顔をしなかった。そう思っているのは現だけなのだろうか。本当は、こんな顔をしていたのだろうか。 ―――何も覚えてないから分からないよ。 「うつつはほんとうはぜんぶしっているのにこひつじにうそをついてほしがるの、ひていしてほしがるの、だってこひつじとうつつはいっしょのものだもの、このはこにわのなかですべてのものがそうだといえるけれど、そのなかでもいっとういっしょのものだもの」 箱庭。 「いいえ、いっしょとおもいたいだけなのね」 だって、一緒だろう。お前は私の生んだ幻に過ぎない。走っても先回りをしてくる、それは幻にしか過ぎない所業だろう。 「うつつはほんとうはぜんぶしっているの、しらないふりがしたいだけなの。じゃないと、じゃないと―――」 ふっと幻は消えて行った。あとに何も残さなかった。 じゃないと、たいせつなものをうしなうから。 「大切なものって何だ」 目を閉じたらそれが浮かんで来るような気がして、そのまま眠りについた。 *** 貴方の読み解く物語 わかってもらいたいだけじゃないの、とその幼子は言う。同じ顔で同じ声で、幼子は鏡のように言う。いい加減うざったいのに、この箱庭が終わらない所為で何度もこの遣り取りをしている。馬鹿みたいだ、と思う。王子なんて来ないのに、それを待ち望んでいるみたい、に。 「うつつは、ひとりがいやなだけなのよ」 煩い。 「それならこげつがいればいいだけだものね」 煩い。 「ああ。わかりやすいうつつ。かわいそうなうつつ。ひとりぼっちがだめで。ひとをまきこみたいのね」 「そういう、お前は、」 「こひつじ?」 同じ顔なのにそれは笑う。やめて、私はそんな顔をしない。 「こひつじはひとりじゃ、ないよ?」 むくろがいるもの。 それは、死刑宣告に等しかった。 * マニュアルのとおりに解読されているわかりやすさという物語 / 中澤系 *** 曖昧模糊のレゾンデートル 「うつつにはなあんにもないのよ」 子羊は言った。 それは決まりきったことであるような顔で、同じ顔なのに違う表情で、そんなことを言った。それが正しいことであるように、これ以上ない真実であるように。 「なあんにも」 だからあなたのものがたりはおなじけつまつをたどるしおなじひょうげんでぐるぐるまわるしよんでいてしんてんもせいちょうもない、ただのつまらないじこけんおにしかならないのよ。お前が何を知っている、私の何を知っている。私は叫んだつもりはない。この同じ顔をした妖怪に、心の底をさらけ出したつもりはない。 なかった。 なのに、子羊はすべて知っているという顔で笑う。とても楽しそうに笑う。笑って笑って、でもそれは嘲るものではない。どうして、と声が漏れる。どうして嘲らない、どうして突き放さない、あれだけ私を傷付けておいて。 どうして。 「だからよ」 小さな手が伸びてくる。頬に触れる。温度がない。 この世に、存在していない手。 それは―――も、同じ。 「こひつじは、うつつをひがいしゃになんかしてやらないの」 だってあなた、そうしたらなくでしょう、なくのはだめなのよ、こひつじはいいこだからしっているの。 「ねえしっていて? うつつ」 知らない知らない知らない。 「ぶたれるのはだれだって、いたいのよ」 だってそれは私じゃあないんだから。 ―――やめて、おかあさん。 *** 未来もまとめて捨てて 僕と駆け落ちしませんか、と僕の女神は言った。最初から答えの分かっているという顔だった。僕は僕の女神にそんなことを言わせてしまったことが悲しくて、つらくて、ただ彼を引き寄せて抱き締めた。 「嬉しいことをしてくれますね」 貴方はまったくデレませんから、という彼に、そんなこと微塵も思っていないくせに、と思った。 * お題 https://twitter.com/ODAIbot_K *** 回線コード 骸と現はずっと離れ離れだった、それを人は家庭の事情とかなんとか、納得出来る理由をつけようとするけれども、本当はそんなんじゃないことを骸は知っている。お父さんとお母さんが子供が出来た瞬間からぎこちなくなって、そこにお父さんの転勤が重なって、それで生まれたばかりの現の親権はそっちに行ってしまった、なんてそんなのは本当は全部嘘―――と言ったら、また誤解を招くけれども。実際に両親は不仲だったし、環境はそういうものだった。 でも、違う。 この双子は出来上がった時から離れる運命だった、生まれたとき、と言えないのは骸が現よりも真実に近いところにいるからか。仕方のないことだとそうすまそうとする骸を、現はいつでも叱った。 ―――諦めないで。 ―――私は骸がだいすきなんだから。 一人では何も出来ないくせに、それでも現はそんな言葉を紡ぐ。一生懸命に、それなら出来るから、とでも言うように。この繋がった脳の中で、必死に、骸に届いているかも分からないずっと遠いところから。 「大丈夫だよ」 骸はそう返すことも出来ない。 コードは、一方通行。 *** 彼方 静かな部屋で、まるで二人しかいないような部屋で、現は転がっている。自分の部屋のように、ずっとそこが自分の場所だったのだと、そう言いたげに。 「ねえ、骸」 その状態のまま、現は骸に尋ねる。いつでも彼女が転がってもいいように床を掃除している骸のことなんか、気にもせずに。気にしてくれなくて良い、と思っていた。そういうもので、現にはあってほしかった。 「母さんの顔って、どんなんだったっけ」 目を、ぱちくりとさせる。 「父さんの顔、じゃなくて?」 両親が離婚して、男の骸を父親が、女の現を母親が引き取ったことにそう不思議なものはなかっただろう。世間も、両親も。ただ当事者だけが、ばらばらにされた双子だけが、おんなじ顔なのになあ、なんて思っていることも知らないで。 「それはもうずっと前に、思い出せなくなってる」 こちらを向かない現がどんな表情をしているのかは分からなかった。分からなかったけれど、見たいとも思わなかった。 「私、………」 ああ、と思う。現はまだ母親と一緒に暮らしていたはずだった。大学に入るために、一人暮らしを始めた骸とは違って、実家ぐらしを続けていたはずだった。 「毎日母さんに会ってるはずなのにね、今日だってお弁当、持たせてくれたはずなのにね。私…どうし、ちゃったんだろう」 それなのに、顔が思い出せないということは。 「………疲れているんですよ」 今日は泊まっていったら良いです、と骸は言う。そのまま寝てしまいなさい、と。現はうん、と頷いたようだった。そのまま緩慢に身体を起こすとのそのそとベッドの方へと移動していく。風呂にはきっと、起きたら入るのだろう。 「おやすみなさい、現」 「おやすみ、骸」 結局、彼女の表情を確かめることはしなかった。 いつか来るだろう、彼女が真実を知る日が近いことを、骸は認めたくなかった。 *** ゆびきり 「ぼくがうつつをまもります」 そんなことを言ったのはいつだっただろう。そもそも、本当にこれは自分の記憶だろうか。 夢からはっと覚めた骸はそんなことを思う。 何が本当で、何が本当じゃあないのか。 用賀骸にはそれを判別するための手段はない。分かっているのは本当は、現は双子の妹なんてものではないこと。もっと残酷な、ただの役柄であること。そして、現はそれを知らない、こと。 ―――ぼくがうつつをまもります。 しかしその幼い声は確かに自分のもので、そのあとに現がにっこり笑ってやくそくよ、と二人小指を絡ませたことまでしっかりと覚えているのだ。覚えているのに、骸はその記憶を疑っている。自分のものではないと、そう作られたものなのだと、思ってしまう。 そんなの、は。 「………脆い」 きっと絶対、現には言えなかったし、あの約束は永劫有効なのだ。 *** +と− 現は可愛いわね、とよくそんなことを同級生に言われる。現は可愛くて良いわね―――言葉の裏にそういう羨望だとか、もっとそれに泥を塗ったような感情が隠れていることも、よく分かっている。 「ねえ、骸」 だから聞いてみる。 「私って可愛い?」 「………それ、自分で聞くことですか?」 骸の一人暮らしのアパート。最近ではそこに入り浸ることが増えた。双子だから、殆ど同じ顔をしている。骸が女顔なのか、現が男顔なのか。きっとどっちも違って、どちらも中性なのだ。性別なんてないみたいに、でも現は女で骸は男に生まれた。 何か、大切なものを補うように。 二十年以上離れていたら、どれだけ顔がおんなじでも他人だ。 「…まぁ、現は可愛いと思いますよ」 「それって、裏を返せば骸も可愛いってこと?」 「あ、もしかして顔の話でしたか」 「多分」 「じゃあ、それはちょっと、分かりませんね」 自分の顔を可愛いとは、思ったこと、ないので。 骸は頬を掻く。その仕草は現にはないもの。 現と骸は違う人間。そんな当たり前のことをどうしてかまだ納得出来ないでいる。同じ顔でも違う身体なのに、出来ないことはなんにもないのに、それでも現は同じであるように願う。 いつかパズルのピースみたいに、嵌ってしまうのがきっと一番良いだなんて、妹として扱ってくれる骸には、言えないことなのだ。 |