嗚呼とてもすきてな出会いがあるでしょう! いつものように天草家に上がると今日も部屋は荒れていた。また誰かが来たのだ、と思う。でも可笑しいな、と思う。誰かが来たにしては何か、妙に、違和感がある。 その正体はすぐに分かった。 「かがみくん!」 涸月がいた。台所と居間を往復しながらコーヒーなんて淹れていた。コーヒーなんて飲めないくせに。 「ねえきいてかがみくん、ゆがみがきょうきたの。もがみゆがみ、あたしよりいっこうえのおんなのこ」 最上歪。かがみはすぐにその名を変換出来る。知らないはずなのに、知っているみたいに。こういう既視感みたいな知識は、本当に嫌だ。頭も身体もぐちゃぐちゃになっていくようで、それはやっぱり気持ちが悪い。水宮かがみと詰め込んだ情報が、乱される、というか。 「そのこね、すっごいのよ。うつつよりつよくてね、うつつのこといじめちゃったの。それでね、それでね、こげちゃんのこともなぐったの」 こんな不幸をとびきりの笑顔で言う彼女が分からない。 「それでね、それでね、ほんとにすごいのはここからなの。ゆがみね、ぜんぶわかってるのよ、かがみくんとはちがうの。それでもね、それでもよ! ゆがみはね、こげちゃんのことがすきなんだって!」 がつん。 頭を殴られたようとはこのことを言うのだろう。何よりも、涸月を殴るものがいることよりもずっと、涸月を好くものがいるということの方がかがみには衝撃だった。どくどくと嫌な音がする。血流が逆になったみたいだ。 「あたし、ここまでばかなこがいるなんて、おもわなかったわ」 涸月はよく言っていた。この世界で天草涸月を好きになるなんて、とても馬鹿なことなのだと。それは初めて聞くことでもないので今更傷付けない。 「でもどうしよう! こんなにむねがどきどききているの!」 「…それは、今までにいなかった人間に、会ったからだろう」 「ううん、そんなことないわ!」 少女のような顔で涸月は手を広げる。 「だっておんなじにんげんなんてこのせかいにひとりだっていないのよ」 裏返したら誰でも一緒、ってことになるかもね、と涸月は笑った。 「なのに、ゆがみだけちがうだなんて、あたしはいえないわ」 ねえ、そうでしょう、かがみくん。 にっこり笑った顔は、ひどく真っ当に見えて吐き気がした。 *** あっけなく奇跡は起こる 奇跡なんて物珍しいものじゃない。でもそれは奇跡の定義に反するだろうから、この世界での奇跡と外で奇跡と呼ばれることとはイコールではないだけ、なのだろう。多分。でもやっぱり悲しいものは悲しいのだ。同じ構造をしているから、同じ構造しか出来なかったから。 「お前さえ死んでいれば!!」 襟首を掴まれる。 「お前さえ、お前さえ死んでいれば…」 「涸月は傷付かなかった?」 この人はいつだって優しかった。何もかも知っているような顔をしながら時折哀れんでくれる、あまりいないキャラクター。それが全部振りだったとは言わないけれど、まあこっちの方が本性に近いんだろうな、と思う。人間の性格なんて環境で変わる。今回はそういうルートだっただけで。 「それ、おれが考えなかったと思います?」 やさぐれたなあ、と思う。多分水宮かがみというのはそんなものじゃない。 「そう思うなら、あんたはおれが思っているよりも馬鹿ってことになる」 本当はもっと本質的で、悪い意味で純粋なんだと思う。 「涸月にさえ馬鹿にされたおれより、あんたは馬鹿ってことになるよ」 でも、それが出来ていないのであれば、最終回が近いんだろう。 「おんなじようなこと、この間言われました」 これ、その時についた痕です。かがみは笑う。笑える。 だって一度受けてしまえば、もう、怖くなんかない。 「だから―――」 その日、水宮かがみは死んだ。 二回目の死で、それはあっけなく、そしてすぐに終わった。 *** 「アンタがかがみを殺しなさいよ」 その日、開口一番飛び出したのはそんな言葉だった。 貴方にしか出来ない 言われた涸月はと言えばぽかん、とした顔をしていた。今まで見た中で一番のアホ面だ。それからふにゃりと気の抜けたような笑みを零す。出された抹茶ラテでべしょべしょになった涸月は熱さなんて知らないかのように笑う。痛いとか苦しいだとか、こいつには存在していないのかもしれない。まあ、その方がずっと真面だけれど。 「こげちゃんにそんなことできないってうつつはわかっていってるのね」 ぱんっと音が響いたのは想定の範囲内だった。自分の行動なんか自分が一番よく分かっている。涸月の頬を叩(はた)くのだって初めてのことじゃない。いつもやっている。 ―――いつも? ―――いつから? 「でもうつつはやるの、ばかみたいにつづけるの」 叩かれた頬を抑えもしないで涸月は笑う。 「ばかだから、つづけるの」 やっぱり笑う。 まるで、 「それしかできないの」 呪いみたいに。 *** 愛とか恋とかもうたくさん 握った拳が痛い。人を殴るということはそういうことだ。そもそも手というのは誰かを殴るためについているのではないのに。でもそんなことを言ったらきっとじゃあなんのためについてるの?≠ニ聞かれることだろう。それに現は何と答えて良いのか分からない。誰かを助けるため≠ネんて嘘臭いし、物語を書くため≠ネんてきっと笑われるだろう。現は笑われることが嫌いだ。お前にそんな価値はないと言われているようで。 「うつつはばかなのね」 うっすらと、その唇に笑みが彩られるのを現は見た。 「こげちゃんをなぐってもうつつはよくならない。それをわかってるのに、まだこげちゃんのところにくるの」 血の一つも零さない、涙の一つも流さない。ただそうあるためだけの機構。なのにどうして天草涸月は笑うのだろう。言葉を解するのだろう。白痴であっても問題はなかったはずだ。なのに、確かに舌足らずなところはあるけれども彼女は成人女性で、どうやら完成している。 「でもね、ゆがみはもっとばか」 じくじくと拳が痛む。出っ張った骨のところが赤くなっている。きっとこれもすぐに治る。なかったことになる。 のに。 「こげちゃんのことぜーんぶわかってるのに、すきなんていうんだもの」 どうしてもっとボロボロの涸月は、こんなにも楽しそうなのだろう。 分からなくてもう一度殴った。涸月は笑って、軽く吹っ飛んで行った。 *** 馬鹿しかいない 真面なやつなんか一人もいないとは思っていたけれどもここまでとは思わなかった、というのが本音だ。多分。そもそも最上歪をして真面に創られてはいないのでどこまで行ってもお前が言うか案件なのだった。やっていられない。こんな不幸なことがあるものか! …と芝居がかってみせたところで腹の足しにもならない。ついでに減りもしない。真面どころか不必要な人間性まで設計外となると、この世界を作った親玉とも言うべき利木月来々―――勿論これは会ったことがある方ではなく、会ったことのない方を指す―――はきっととんでもない人非人に違いない。それか、こんな箱庭のことを把握していないか。それであれば利木月サマがあれだけ求めているにも関わらず思わせぶりな行動ばかりをして去っていくのも分かるような気がする。というか、きっとそっちの方が利木月サマの精神衛生上よろしいことだろう。来々は絶対に認めないだろうけれど。 「アタシはそんなにアンタのことが嫌いじゃないのよ」 だから、というのは言葉にしない。そういうことは詩人のためにとっておくべきだ。この世界に詩人がいるかどうかは置いておいて。 「生きるってことが何なのか、教えてよ」 目を閉じても、夢は終わらなかった。 * 歩くのが下手だとしてもその辺で野垂れ死ぬとかせずにいけたら / 卵塔 *** 僕と僕が絡む舌先はどちらが熱いの? 同じなのに、と言うと今更そんなことを言うのかと呆れられた。 「俺の好きな人知ってるくせに」 ああそういえばそうだった、と考え事をしている間に主導権を奪われる。でもそれでもよかった、どっちが主導権を握っていようが温度は同じで、結果もきっと同じだ。くちゅくちゅと粘膜の擦れ合う音、普通はこれに対して官能的だとかそういう感想を抱くべきなんだろうけれど、どうにも何か儀式めいた神聖性すら感じてしまってそれどころじゃない。何かがズレている、そんなのはずっと前からだけど。 「えいちゃん」 唾液が溢れる。 「すきだよ」 其処で目が覚めた。 そもそも、キスなんて出来るはずがなかった。だって英と来々は同じ身体なのだから。 * by キョーカ(@kyoka_sos) *** 欲しいと願ったのはあなたでしょ ほしくないほしくないほしくなんてなかった、おなかがいたくてはきけがしてごはんのにおいもなにもかもきもちわるくてちがとまってはきそうではいてこひつじはそんなものをねがったわけじゃない、こひつじにはむくろがいればそれでじゅうぶんで、だから。 目の前に立つのが誰か、子羊は本当は分かっている。 * 孤独症候群 @s___syndrome *** 冷蔵庫の中はからっぽです 暑い、と呟いたところで何か変わる訳ではない。殺したばかりの女の死体が転がって、この暑さならもしかしたら処理より先に腐るところを見ることが出来るかも、なんて。多分子供のような好奇心。薄暗い好奇心。外に出たら何か言われるだろうがどうせ此処は箱庭だった。警察だって何だって、いるにはいるけれどもそれは設定だけでハリボテで、外のように機能している訳じゃない。奇跡の方がよっぽど機能している。 「…で?」 携帯一つ鳴らしてやって来た可哀想なデータベースはお土産にアイスを買ってきてくれたらしかった。 「何で俺は呼ばれたの」 「知っときたいかと思いまして」 「そういうの要らねえ」 「そうですか?」 そんなことはないはずだと思ったけれども。暑さで頭が茹(う)だっているのかもしれない。そういうこともあるだろう、と思って煙草に手を伸ばす。 「…ない」 「だと思って買ってきた」 「ライター」 「ほら」 「やっぱ良いです」 「何」 「白冬がください」 「は?」 「だから、火を、こう、分ける…みたいな」 「はあ…」 ため息を吐いてもやってくれる彼は、だからこそ巻き込まれるのだろうと思う。巻き込んだ人間が言うことじゃあないけれど。 「何か食べるモンあんの」 「この状況で食事の話とはなかなか豪胆ですね」 「お前のが感染った」 はは、と笑う。まだ長い煙草を死体で消して彼のものを奪う。 「…おい」 「ねえ、白冬」 彼はもう何を言われるのか分かっている。 「セックス、しませんか」 「此処で?」 「此処で」 「食べモンは」 「それ、今気にすることですか?」 床に引き倒す。煙草が彼の頬を掠めていく。 明日生きていかないのであれば、それは不必要な心配だった。 * 一本の煙草を二人で吸いながら 聞けないままの夢のことなど / 林あまり *** 幸せな朝 寂れた教会でガラスの上に二人寝そべって、まるで宗教画だね、なんて馬鹿なことを言っても今日の歪はまったく笑わなかった。現実じゃないからだな、と思う。だって本当に現実だったら大学の構内とは言え廃墟と化している教会で一晩泊まるなんて出来ないし、ガラスの上に寝そべったら怪我をするし、月の光だってこんなに入ってこない。まるでセックスしているみたいだ、なんて思ったことは絶対に歪には言えないけれど。 「ねえ、聞いてよ現、馬鹿なこと」 月に照らされた歪はいつもと違うように見えた。 それこそ、本当の中学生みたいに。 いつもはただ制服を着ているだけで、年齢詐称とかそういう雰囲気が強くて年下だなんて思ったこともなかったけれど、今だけ、年相応に見える。思わず何か言おうとして、すぐにそれはだめだと口を噤んだ。もし此処で現が何かを言えば歪はもうこの話をしてはくれないだろう。月の魔法、接続が切れる時。何でも良いけれど、きっと二度目はない。奇跡は簡単に起こるのに、二度目はない。 「私、かがみが好きなのよ」 懺悔だ、と思う。雪が溶けるような心地。 「あの馬鹿が、とてつもなく、好きなの」 だから涸月が嫌いなのよ、と齎された言葉はまるで反逆のようだった。 * image song「遺失物取扱所」Suck a Stew Dry *** そんなの勝手にしろ 教会にいるのは天使なんかじゃない。女神でもない。聖女でもない。ただの女、ただの救われない女。それを現は知っている。きっと歪はもっとずっと前から知っていた。私じゃないのに、私ですらないのに。 「自分に問いかけるなんて本当、馬鹿らしい」 「同感。サイアク」 中学生の見た目をしているのに私と同じようなことを言う歪のことが、私は嫌いだった。同族嫌悪にもなれない陳腐な感情、きっと歪からしたらこれだって馬鹿馬鹿しいものだったのだろう。現が何を言っても気にしない影、きっとそんなことを言ったら歪は怒るのだろうけれど。 それでも、現は歪よりもずっと主人公に近かった。 「だけど、」 勿論、主人公には結局なれないのだけれど。 「アイツは生きるって決めたんだ」 「そうらしいわね」 世界は変容する、歯車は回り出す。私たちは進む、望もうと望まざろうとも。 「どんなに辛くても、成り上がってやるって」 水が流れるように、城を作るように。私たちの、道標。 「そう決めたんだ」 「………そう」 歪は興味がないようだった。きっと歪はずっと決めていたのだ。私がとても遅かっただけ。ああ、本当に馬鹿にされるところしかない。馬鹿にされるのは本当に嫌なのだけれど。 「此処が現実じゃなくても?」 「此処が現実じゃなくても」 歪がこんな答えの分かっている問いをするのは珍しかった。 だからこれは実質、予定調和なのだ。 「だから、歪」 ―――私を生きさせて。 |