後悔の証 

 ずっと一緒の存在からその話を聞いて、それから来々がしたことと言えば子供のように拗ねることだけだった。
「女神、ね」
あまりにその響きは皮肉めいて聞こえて、それだけが来々の中で痼りのように引っかかって。
 思い出す。
 あの夏のこと。可愛い半身がそのことに気付いてしまった、来々の失態。
「神なんてものがいるとしたらそれは―――」
忘れたことなんかない、来々は忘れさせてしまったけれど、彼が彼自身で起こした謂わば革命だったのに、来々はそれを邪魔してしまったけれど。だって、そうでもしなければ彼は女神になど出逢いなくて、それを後悔したことなどないけれども。
「いつか、真実は、白日の下…」
 きっと、それが来々の望みだった。

***

 本当のところ、それが一体何なのか、僕らには確かめる術さえないのだ。

見たこともない鏡 

 この世界が始まった時から、用賀現は知っていた。自分には双子の兄がいること。彼に話しかけられること。彼がどんな人間で、彼が現のことをどう思っているのか、現はまるっと最初から最後まで知っていた。
「骸はばかな子なの」
だから、現はその双子の兄のことをそう言う。
「いい子なのが正しいと思ってる」
 記憶なんて、微塵もなかった。両親の不仲、引き裂かれる双子、その悲劇は二人がとても幼い頃に起こったもので、それはもう物心だとかそういう問題よりももっと前で、本当は覚えてなんかいないはずだったのに。
「骸」
現はその名を忘れることが出来なかった。
『現は怖がりなんです。僕が守ってあげなくては』
 ずっとそんなことを言い続ける、ばかな兄のことを、忘れることは出来なかった。

***

いけにえ 

 色のない夢なんか珍しくもなんともない、とその夢だと分かる空間の中で強がってみせると少女はけたけたと笑った。けたけた、けたけた、よくもそんなに笑えると、その小さな口が裂けてしまわないかと不安になるほどの勢いで、少女は笑う。
「あなたが、つよがり!」
少女は舌っ足らずにも笑いの隙間に嘲りを乗せて、やっとのことでこちらを指差した。
「ああ、すばらしい、わ! だってむかしの、あなたは、そんなよゆうすら、なかったもの、ね!」
笑っているからなのか途切れ途切れになる言葉が聞き取りづらくて、幼子特有のかん高さも相まって、本当に気味が悪い。そしてこの上なく癇に障る。
「あなた、わたしのこと、きらい、よね」
しってるわよ、と真っ赤な唇が言う。本当に裂けてしまったのではないか―――一瞬そんなことを思うほどに、血の色をしている唇。白雪姫みたいね、なんて。大人が一生懸命に考えた褒め言葉だ。本当はずっと、気味が悪いと思っていた。今の私のように。
「きらい、きらい、きらい! うつつはこひつじが、きらい!」
けたけたけたけた。私は走り出す。あんな気味の悪い子、見ていたくなかった。けたけたけたけた、それでも声が追ってくる。車の音、そうだここは大きな道路のすぐ横だった。私はふらりと寄った公園で、童心に返りたかったブランコのその場所で、彼女に会ったのだ。
 ぞっと、する。
 だって彼女は待っていたみたいだった。現、と私の名前も知っていた。あんな子供は知らない、知らない、知らない。
「ほんとうに?」
はっと立ち止まった目の前には先ほどの少女がいた。笑っていた名残なのか、まだその肩は小刻みにふるえている。
「うつつ、ほんとうにこひつじのこと、しらないの?」
知らない。こんな、嫌に真っ赤な唇をした子供なんて。知らない。こんな、不健康そうな子供なんて。知らない。自分のことをこひつじなんて呼ぶ子供なんて。知らない、知らない、知らない―――。
「うつつの、うそつき」
けたけたけたけた、また少女は笑い出した。今度は紛れもなく、嘲笑だった。
「じゃあなんで、こひつじのくちびるがまっかだって、しってるの?」
これはゆめなんでしょ、と少女は笑う。
 そう、夢だった。ここは現実ではなかった。夢の中の現は何処かへ行く途中で公園に寄りたくなって、童心に返りたくてブランコに立ち寄って、そこまで全部色がなかったはずだった。見上げた空も灰色で、ああどうして、とその場にしゃがみ込む。隣の車道で大きなクラクションがなった。交差点で車がトラブルを起こしたみたいだった。それは現の夢だった。死人も何も出ない、ただの夢。もしかしたら深層心理。真相心理。誤字。でも誤字の方があっているのかもしれない。
「こひつじはうそつき、きらいよ」
少女が近付いて来る。そのつま先の色も、現は知っていた。お気に入りの靴。真っ赤な靴。肌が白いからよく映えるね―――なんて、お決まりの文句。馬鹿じゃないの、と思ったのは大人になってからだ。この不健康な色の肌には明るすぎる赤は逆にこちらの存在を浮かせる。色負けするのだ。
「ねえ、うつつ」
少女は手を伸ばす。現の頬に触れる。
 感覚は、ない。
「うつつはそれを、よく、しっているでしょう」
―――どうしておとなはうそつきなの?
真剣な目でそう問うた、幼い頃の記憶が蘇ってきた。真面に顔も思い出せない母が、その次の瞬間勢い良くひっぱたいたのも思い出した。
 そこで、目が覚めた。
 現は少女の色を知っていた。答え合わせがしたかったら本棚のアルバムを開けば良いことも、知っていた。



即興小説トレーニング「灰色の夢」

***

贖罪の嵐 

 来々の足元には少女が蹲っていた。
 此処に彼がいたらきっとにべもなく蹴り飛ばしているのだろうなあ、と思うと彼がいなくて良かった、と思う。ごめんね、と少女は言った。嗚咽と悲鳴をばらまいて、それでも来々に縋ることもなく、ただごめんね、と言った。
「こげちゃんごめんね、こげちゃんがわるいこだから、わるいこだからききはしんじゃったの、きき、きき、ごめんね、ごめんね、こげちゃんがはなしかけなきゃよかったの、ねえ、きき、きき、へんじをして」
「大丈夫」
優しく話しかける。
「来々は死んではいない。俺のずっと奥深くで、眠っているだけ」
 嘘ではなかった。
 嘘ではないけれども、本当でもなかった。繋がっているのは確かで、でも、彼女が今何をしているのか、それが分かる訳でもなくて。ただ来々が、そう信じたいだけ。信じて、いたいだけ。
「きき、ききはききのこえがきけるの?」
「………聞けないよ」
「ならどうして、わかるの」
「彼女が、俺だから」
しゃがんでみせるとやっとその目と合うことが出来た。
 丸くて今にも眼窩から零れ落ちそうな、ああそうだチワワのような目が涙でいっぱいになって、更に壊れ物のようになっていて。いつだったか、彼はあんなものはやく落ちてしまえば良いと、そんなことを言っていたけれども。
「それじゃあ、足りない?」
 本当は、少女の答えなんてずっと知っていた。
「たりなくない」
ふにゃり、とその口元が緩む。少女がそういうものであることを、来々はきっとこの世界で誰よりも良く知っていた。なのに、どうして。
「たりなくないよ」
少女が笑うことが、こんなにも、つらい。
「でもきき、ごめんね、」
 まだ少女は謝ることはやめなかった。
「こげちゃん、もっとがんばるから」
「…じゃあ、」
涸月、とその名を呼ぶ。小さな、今にも折れてしまいそうな痣だらけの腕を見つめながら、ここはひどい世界だ、と思う。
 それを管理する、自分も、また。
「お前を抱き締めても、良い?」
「なにそれ」
少女は笑った。
「あなたはこげちゃんで、こげちゃんはあなたなのに、」
どうしていまさらきょかをとるひつようがあるの、と少女は言った。そうしたかったからですよ、とだけ言って、来々はその今にも壊れそうな可哀想なすべてを呑み込む身体を、抱き上げて、抱き締めた。
 壊れないように、壊れないように、ただ、やさしく。
「ききはやさしいけど、ばかじゃないのね」
その意味を正しく理解しか出来ない少女は、そんなことを呟くしかないのを知っていて。

***

よわむしむしむし 

 汚いきたないきたないきたない汚い。伸ばされた手を跳ね除ける。
「私がアンタに触るなんてこと、あると思うの?」
―――いいよ。
彼女は拙い声でそう言った。
―――こげちゃんを、うつつは、どうしたっていいよ。
 だから振り払った。汚い、と思って振り払った。そのまま立ち上がる。そもそもこんなものの前で座り込んで見せたのが間違いだった。
「その、アンタの、子供を産む能力があるかどうかも分からない腹の中をかき回して、アンタを悦ばせるって? そんなことが、あると思うの?」
そういうことじゃない、きっとこの馬鹿が言ったのは、そういうことじゃあないのに。
「………それでも、いいよ。それでもこげちゃんはおこらないよ。だってこげちゃんは」
「うるさいッ!!」
ぺしん、と間抜けな音がした。何度も繰り返して来た、拙い暴力の音。
 最早その瞳が驚いたように染まることなんかない。否、そもそもなかった。初めから。
 初めから、彼女はそう作られていたのだから。
「ばっかじゃない」
そう言い放って立ち上がる。
 彼女はついてこなかった。汚い彼女はそのままずっと、其処に座り込んでいるはずだった。



image song「君はできない子」初音ミク(きくお)

***

クリームパスタもカレーライスも何度目だ 

 なんてことない大学の昼の食堂だった。わいわいがやがや喧騒の中で、まるで通夜のように向き合う男が二人。友人、というにはあまりに距離がありすぎて、そして、同じすぎる男が二人。容姿の話ではない。これはただ彼らが共通して持っている、運命のようなもの。
「現をもう涸月に近付けない方が良い」
賢い男だと理解していた。だから白水はそう言った。目の前の男が妹を大切にしていると、例えその役割が与えられたものでも妹≠守るのだと信じて疑わなかったから。
「あれはサンドバックなのに?」
「それとこれは別の話だ」
涸月という年齢も頭の中身も不詳の少女を傷めつけることは彼らにとって許されたことであり、それは彼らと同じくして生まれた現とて変わらない。変わらないけれど。
 彼女の行動が目の余る訳ではない。自分たちの中で可笑しなことを言うのはかがみ一人であり、それは脅威でもなんでもなかったけれど。
―――ダークホースが。
最後に生まれた、崩壊装置。
「…歪が、あれに興味を持った」
「ゆがみ」
「最上歪。知っているだろう?」
頷きは返らない。知っている、知っていないなんていう問答は本来不要だからだ。
 骸はため息を吐いた。目の前のクリームパスタが美味しくない、そんな調子で。歪なんていう不確定要素を何とも思っていないふうに。
「現のことを僕は、救いたいのに」
「君がそう思ってもだな、」
かたん、とフォークを置く。もうこれ以上食べるつもりはなかった。そもそもカレーライスをフォークで食べるのは無理があったし、もっと言うなら本当ならば食べる必要なんてないのだから。
「俺たちは犠牲だ、全世界を救うために俺は君を犠牲にする。俺は君を救えない、だってそれが法律だから。この世界の、法律だから。たった唯一の、法律。君を殺すのも、君が死ぬというのを止めないのも、俺がこの世界を守るため」
「そんなことは分かっています。繰り返さないでください」
「君が分かっていないから!」
わいわいがやがや、喧騒は鳴り止まない。誰も二人に興味は持たない。それは決まりきった、法則。
「俺は、君が、」
「白冬」
 真っ直ぐな目が白冬を射抜く。
「その嘘は聞き飽きました」
「………そうかよ」
「貴方が好きなのは涸月でしょう」
「…かもな。狂ってるんだ」
「いいえ、案外正しいのかもしれませんよ」
誰もこの世界で何が正しいかなんて、分かってないのですから。
 骸もクリームパスタに飽きたようだった。かつん、とフォークの音がする。
 なんてことない大学の昼の食堂だった。

***

歩き続けると誓った日を覚えている? 

 「君は僕に誓ったんですよ」
彼の美しいその声が、まるで毒のようにずるり、ずるりと這入って来る。逃げなくちゃ、そう思うのに、どうにも出来ない。
 この美しい悪魔から、自分だけは、自分だけは逃げられるものだと思っていた。思っていたのに、このざまだ。何がデータバンクだ、笑える。答えを出したデータバンクは最早データバンクじゃあない。ないのだ。分かっている、分かっている、分かっている。
「歩き続けると。立ち止まらないと。それは嘘だったんですか?」
責めるつもりなど毛頭ないというような口調で、人の首を絞めてくる。
 彼は、恋を許さない。データバンクがひとつの答えを出すのを許さない。それでも彼は馬鹿みたいに願うのだ。
 俺が、彼に恋することを。



ぽつぽつ
https://twitter.com/potsuri200

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消毒 

 愛する人が憔悴してやってきた時、やってやることは何だろう。抱き締めて、頬を撫でてキスをして、温かい飲み物をいれてやって手を繋いで話を聞いて、それからセックスなんてするのだろうか。
 ただその時、その頭に浮かんだすべての工程が一瞬のうちにだめだ、と思った。
「…ごめん」
彼は謝った。何故、なんて問うこともしなかった。
「いいえ、知っていました」
そう、知っていた。知っていて、彼の弱みに付け込むようなことをした。だから、彼が謝ることはない。僕も同罪なのだ。
「知っていましたから、謝らなくて良いんです」
「………でも」
「じゃあ、出来ることなら」
 そっと、手を取る。願うように、泣くような声で、乞う。
「僕に、消毒をさせてくれませんか」
 これがすべて夢だと言うのなら、この灼け付くような嫉妬はなんなのだろう。

***

恋は盲目 

 きっと誰もがそう言っただろう。田水英の、下田受人に対するその扱いを見れば誰だって。それを言わなかったのは英とずっと一緒にいる存在だけで、受人はそれがすべて見透かされているような気がしていやだった。
 彼は実質的な支配者だった。恐らく受人はこの中で二番目くらいには、彼と近い思考を持っていた。持っていた、のに。それでも抗わなかったのは。
「………僕も、主人公を笑えませんね」
本の中、間違った行動と知りつつもそれを起こした少女の名前をなぞる。
 彼女がどうして過ちを犯したのか、今ならよく分かることが出来た。

***

この人を地獄まで 

 本当の役目は白馬の王子様なんかではないのでしょうね、と下田受人はよく思う。思うけれども誰にも言わない。特にあのデータベースなんかに言えばお前は間違いなく白馬の王子様なのだと言われそうだし、それは答えではなくてデータであるので書き換えることが出来ないのだ。白馬の王子様だなんて。
 それこそ幼女でも信じていないのに。
 何もかも知っている幼女に問うてみたい、絵本は好きかと。でも彼女はきっと下田の前には現れない。何故って? 必要がないからだ。彼女と下田はひとつも関係がなくて、だから今まで接点を持たずにいる。
「英」
愛おしい人の名前を呼ぶ。
 いつか呼べなくなる日が来るのなら、此処から逃げ出してしまいたかった。



孤独な愛の育て方 @kimi_ha_dekiru



20170423