内緒にしよう 

 今日はかがみくんは来ないの。脳内で舌足らずな声をきちんと変換してから現はごろり、と首を動かした。床に後頭部の骨がごりごりと当たる。まるでなめらかな頭じゃあないみたいに。
「こげつのこえじゃあとどかない?」
甘ったるい香りがするようだ。伸ばされた手はひたひたと何処か水っぽくて、気持ちが悪いな、と思う。雨の日みたいだ、それかプールの中。
「そんなことないわよね、だってうつつ、こげつのこときらいだもの」
 耳を塞ぎたかった。でも塞げない。身体がだるくてたまらない。このまま眠ってしまいたい。
「しってるのよ、こげつ」
何をだろう、と問うことはしない。だって彼女は勝手に続けるから。
「このものがたりにはおわりがある」
これは独り言にすらなれない何か。現が聞いているかどうかなんて本当はどうでもよくて、ぽつぽつと落ちる言葉が何処かのスポンジに吸収されればそれで良かったのだろう。ただそのスポンジが現だっただけで、本当は現じゃなくても良かったはずだ。
 それを、口に出したりはしないけれど。
「そしてね、そのけつまつはいつだってぜったいはっぴーえんどなの」
多分、笑ったのだろう。朗々とした声にさざなみが立つ。広がっていく、どうしようもなく。波紋、それよりももっと、いつか津波になるもの。
 逃げられない、もの。
「このはこにわで、はっぴーえんどなんてききがききにあうこと、それいがいにないわ」
知らない人間の名前をきっと現は知っていると言う。
「ねえ、うつつ」
 ぺたり、触れて来た手のひらは熱かった。
「なぐっていいわよ」
頬に触れているそれを跳ね飛ばして顔を背ける。どうして、と声にならない疑問が聞こえるようだった。何も変わらない。眠りたい。なのに、ずくずくと下腹から何かがせぐりあげる。
「あなた、だっていつもそうしてきたでしょう」
大丈夫よ、なんて。何が。
「こげちゃんはしってる」
「そのかわいこぶった言い方やめろ」
「…こげつはしってるの」
 言い直しても舌足らずさが消えない時点で意味はない。
「こげつは、しってる」
知っていることなんて何もないくせに、その声は強い。
「かがみくんがだれかとむすばれるみらいは、こない」
強くて、耳を塞げない。眠れない。これじゃあ、思うツボ、なのに。
「こげつとも、うつつとも、ほかのだれかとも」
カッと走ったのはきっと怒りだ。転がっていた身体を跳ね起こして首元を掴む。
「かがみくんはずっとしょきろっとのまま、ほんとうのはじまりをにぎりしめたまま、ききのはこにわをまもりつづけるの」
 それから、それで良いのよと言った彼女の頬を張り飛ばした。



image song「遺失物取扱所」Suck a Stew Dry

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上書き保存しますか? 


 その人が泣くところを初めて見たなあ、と思う割には自分がまったくもってパニックに陥っていないことを知ってしまっていた。だってどうしたって彼が壊れないことをもう分かってしまっていたから。その目の前に跪いて、そんな簡単なこともきっと彼には見えていないんだろう。それも分かってしまった。だって恋敵がまさかそんなことをするんて、きっとこの人は信じたくないのだ。それくらいは分かってしまうから、この足りない脳みそでも分かってしまうから。
 ああ、本当に救われないな、とその人の声を聞きながら思う。
「お前は何も分かってない」
「うん」
「だから同じことしか起こらないんだ」
「うん」
「俺は、」
「涸月が好き」
「違う、」
「良いんだよ、東さん」
「違うんだ、お前は、何一つ分かってない」
何一つ分かってないのは貴方の方だ、とは言わないでおいた。
「―――誰もお前を必要となんてしない」
分かってるなんて言っても、それは所詮、言葉だけ。
 データベースに感情はない。
 水宮かがみは悲しいことに、もうそれを知ってしまっていた。

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代用品 

 子羊は私の幻想なんかじゃなくて本当に存在していてそれは確かにバグなのかもしれなくてもずっと存在し続けていて記憶から消えないということは最初から組み込まれたバグでそれは最早バグとは言えなくて。
「鳴呼」
 彼女を愛してあげられるのは、本当は現だけなのに。
 現にはそれだけは、出来ないのだ。



街角の鏡にわたし いつもとは違う色したあなたのわたし / 千原こはぎ

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さよならの覚悟も出来ないもので 

 何度も何度も出来たはずだった、そういう世界だった、なんだって出来る世界だった、終わること以外だったらなんでも。だから自分みたいなものがいてループなんても言えないものがずっと転がっていて、ああそれって何だかとてもライトノベルみたいだなんて思ったりしたのだけれどもなかなか彼らは気付かないから、気付かせないから。
 いつかこの世界が終わるんだろうか。
「終わるよ」
近所の少女は言う。
「終わらせるんだよ、白冬兄」
そうしたらアタシのとこに来ても良いよ、なんてそれはきっと幻聴だった。
 そんなやさしいことをそのスカートの短い近所の少女が言うはずがなかったのだから。



世界を廃物利用しようとした。三分の二の花を枯らした。 / 卵塔

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愛しているから不安になる、でも愛さずにはいられなかった 

 本当はこれこそが恋と呼べるものなのだと分かっていた、でも口にしなかったのはこれが設定だからと言って兄妹であることには変わりなかったからだ。この世界で血の繋がりなんて馬鹿馬鹿しいことなんだろうと思う、でも多分、それを越えてしまったらそれこそ二度と戻ってこれない。
「だから。臆病な僕を許して」
許されないことを知っていて、そんな馬鹿げたことを言う。



確恋 http://85.xmbs.jp/utis/

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美しさは悪であり、善である 

 蟻が歩いているのをじっと見つめていたら視界に現れた脚がそれをきれいに潰して行った。
「…そういうの、どうなんです」
「あれ、用賀は博愛主義だったっけ」
「そういう話じゃあないでしょう」
「まあ、それもそうですよね」
脚の主―――下田はうっそりと笑う。別段美しくは出来ていないはずなのに彼はなんとなく、美しいように見える。多分見える方法を心得ている。
「雨が降るとか」
「そういうの、信じているんですか」
「別に」
「なのに言うなんて、可笑しな人ですね」
「ああ」
「否定してくださいよ。気分が狂う」
「否定されたくないくせに」
 意味のないやり取りだった。下田の脚が退く。
 潰された蟻は何処にもいなかった。



箱庭006 @taitorubot

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 白いワンピースにいい思い出はない。何故ならそれは失敗の象徴だから。

少女時代 

 ねえ、いたかった? 頭が足りないような口調で子羊が言うのを現はいつもよりも苛立たないで聞くことが出来た。とは言ってもいつもより、ということであって苛立っていない訳ではない。子羊を見る時はいつでもそうだ。そもそも現が追い詰められていない時はない。その度合が少ないか多いかだけで、絶対的なゼロやマイナスに振れていることは殆どない。
―――必要とされるにはどうしたら良いかな。
そう、無垢に尋ねた少女はあの日死んだ。
 いいえ、私が殺した。
「そう、私が殺した」
突然熱にうかされたように立ち上がった現に、子羊は驚かなかった。
「私が貴方を殺したのに」
 どうして、生きているの。
 子羊を生きているというのは恐らく間違いだった。それでも現は子羊についてそう言うしかなかった。
 そうだね、としか子羊は言わなかった。それ以外は何も言わずに、其処に突っ立っていた。

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そんなふうに呼んだことないくせに 

 用賀現というのは生まれついての妹だった。どういうことかと言うと、あとに生まれて来たから妹、なのではなく、最初から妹として生まれてきたのだ。それこそ先に母親の肚から出て来たのが現であったとしても妹だっただろう。そういうものだった、現は妹であることしか許されていない。
 そんなことを考えながら肉を口に含む。ずっと同じだと思っていた身体はいつの間にかまったく違うものになっていて、ああつまり大人になれたんだな、とぼんやり思う。死ねなくて繰り返すのはまるで物語の主人公だけれど、現はもう主人公にはなれないことを知っている。そして、非処女になれないことを知っている。そのルートは封鎖されているのだ、ただのバグだ。また幻影が襲ってくる。白いワンピースを着なくてはいけなくなる。それは嫌だった、だから現は選ぶ。封鎖になる手前で、隘路で、立ち竦む。引き止める。でも、その理由を伝えることを未だしない。聞かれないのもあったし、言いづらいのもあった。本音を言うことはとても大変でとてもむずかしい。
 でも少しずつ、言葉にしていくから。
「ごめんね、お兄ちゃん、ごめんね」
じゅ、という唾液の音にその言葉は掻き消えた。掻き消した。

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愛という名の猛毒物質 

 世間には愛だの恋だの甘々しい言葉が溢れていて、ああバレンタインが近いのだと思い出した。そう気付いたら途端にチョコレートの匂いで空気が染まっているような気分になるのだから安っぽい身体をしていると思う。どうしようか、と思う。かがみの中に浮かんだのは涸月のことだった。彼女はチョコレートを好むだろうか、好むような気がしていた。買っていったら食べるだろうか、まるで餌付けするみたいに、かがみにもそんなことが。
「…まるで、」
首を振る。
―――幸せな人間、みたいだ。



白黒アイロニ @odai_bot01

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私の檻 

 意外と天草涸月が真実に近いところにいることは知られていない。それは涸月が進んでそれを話さないことにもあったし、恐らく言ったところで誰も真面に取り合わないだろうことも手伝っていたと思う。どっちにせよ涸月がそれを口にしたところで、誰かが涸月を足がかりに真実へと到達することは愚か、手を伸ばすことさえも出来ないだろうことを、馬鹿ではない涸月は分かっていた。
 ずきずきと下腹が痛む。いつもの。
「あたしはだれのものにもならないわ」
転がったままの涸月に息を呑んだ青年を涸月は可哀想に思う。この世界でなければきっと死ぬことが出来ただろう彼のことを、涸月は嫌いじゃないし愛おしいとさえ思っている。
「ほんものの、ききでさえも」
 でも、彼には足りないものがある。人間というものが子供の部分と決別出来ないように、彼の基本設計はそうなっている。
「本物の来々ってなんだよ!? あの利木月って奴のことか!?」
「そっちはほんもののききじゃないわ」
「じゃあ、あの田水って奴のことか!?」
「はなぶさははなぶさよ。まったくちがうもの」
二人の名前を知っているのなら今回は良い方だ。
「かがみくんだけがなあんにもわかってないの」
 でも、何にも分かっていないのは、涸月も望むことで。
「これは、こげつにとって、さいこうのはっぴいえんどなのよ」
彼の愛を受け入れないこと、天草涸月が誰のものにもならないこと。そう、それは天草涸月にとって最高のハッピーエンドでこれ以上もこれ以外もないのだけれど、きっと彼は一生それを理解しないのだ。



20190305