誰にもまけないように 幼い頃は神様がいるのだと信じていた。 それが本当に幼い頃だったのかはさておき、田水英の中ではそういうことになっていた。 「僕が望むのは強さだけです」 誰かも分からぬその人に田水英はそう言った。田水英になる前の田水英はそう言った。まるでJポップの歌詞のようだ、と思う。誰の記憶か、これから田水英になるもののかろうじて残った記憶なのか、分からない。それでもそう思った、そう上手くは行かないくせに、百年経っても覚えているなんて、してくれないくせに。 「強くなりたいのです」 あの子を守れるように。 誰よりも。 強く、在りたい。 *** こんなに胸が痛いなんて、ね 「お前のことが嫌いだよ」 白冬は言った。とうとう言葉にした。 だからこそきっと、涸月は笑ってみせたのだろう。 「そんなこと、とっくのむかしにしってたわ」 *** 僕は貴方の母なるもの この肚に生命が宿ることがあるのだと人は言う、科学のことを信じているので不思議な力も信じているので×××はどうやらそれが本当らしいと信じている。信じないと×××は何処からやって来たのかと言われてしまうだろうが、そもそも母である人の肚から出て来たというよりもその辺の木になっていたとか、それこそ空から降ってきただとか鳥が運んで来たとかキャベツ畑で拾ってきただとか。そんなような御伽噺の方がよっぽど似合っているし信じられる。 つまるところ自分がそのような営みの末に生まれてきたのだとか、自分もそのうちそのような営みを経て後世に生命を繋いでいくのだとか、そういうことが想像もつかなかったからである。社会、というべきなのか、どうやら正常とされる規範の中に×××は一人入ることが出来なかったらしく、恐らくそういうものは一人ではないのだろうが、やはり入れない理由を突き詰めていくと×××と全くもって同じ理由で弾かれたものは存在しないのだろう。それを言ったらきっと入れているものも同じ理由では入れていることにはならないのだろうが。 これは×××だけの感情だった。一人爪弾き、周りには誰もいない、それが当たり前で正しかった。だから、覗くな、と思う。彼は時折こちら側に下りてくる。本当はもう一生関わることのないはずなのに、彼はどうしてかその枠を越えてしまう。キャラクターが勝手に動くとはきっとこのことなのだろうと思う。きっと彼には仕込んだものが効いているだろう。だから心配することはない。心配なのはその半身だった、否、心配なのではなかっただろう。死んでしまう、とすら思っていた。そもそも×××と彼は一体になれるものとして作ってはいなかったのだから。 現実は彼らに眩しすぎる、その夢は×××には暗すぎる。切り離した心が活性化して泣こうとも、×××はそれを受け取ることしか出来ない。終わらせることすら出来ない。既に夢は×××の手を離れてしまった。何処へも行けない可哀想な子供たち、肚も何もかも通ることのなかった残渣。知らなくて良い、と思う。知らないでいて、と思う。折角手をは離れたのだから。あまりに深すぎるとその泥沼に嵌ってしまうから。 それを知らない彼は、此方側から見ればひどく危うい存在だった。 *** そうしてゼロへと還る僕ら どうして大学の構内で畠野とかがみが向き合っているのに付き合っているのだろう、と思った。そもそもかがみの設定は高校生だったはずなのだけれど、これはどう整合性をつけるつもりなのだろう。学校見学にでも来たという設定にするつもりなのだろうか、何処にもいないはずの神を求めて現は空を仰ぐ。アーメン。キリスト教徒じゃないけれど。そもそもアーメンとはこういう感じで使っていいものだろうか。此処が現実だったら確実に関係者に怒られていたに違いない。閑話休題。さっさと話に戻って話を終わらせよう。どうやらこの場で正気なのは珍しく現だけらしい。かがみはさておき、畠野まで飲み込まれるとは新しい、と思う。いや、現が正気な方が珍しい、とすべきだろうか? これを物語にしても三文芝居にしかならないだろうな、と思いながら角砂糖を入れすぎて溶け切らなくなったコーヒーを執拗にかき混ぜる。 「オレの考えが分かんないっていうなら、共有出来ないってんなら、それで良いよ。そういうの、無理してやることじゃないと思うし」 結局何の話をしていたのか、現には記憶がない。恐らく現には関係のない話なのだろう、きっと。だからこうしてぼうっと傍観者役をやっている。まあそもそもかがみも畠野も問題を起こすようなキャラクターではないので、此処で現が座っている意味なんてないような気がする。 「でも、それが餓鬼の考えだって言うんなら、」 かがみの目は、顔は、何処までも真剣だった。こうして此処で現がぼんやりしているのが可笑しいと思うくらいに。 「そこの奇麗なおにーさんも、そう思うなら、」 どうやら、先程の言葉は現に向けられていたものらしい。畠野はどうやら現の味方のようで難しい顔をしていた。子供の考えること、そんな様子で。 苦々しい。 「それごと、失くして良い」 *** 先にうまれたものなので 君のファンなんだよ、と言う男は大学の同級生で、いくつか留年を重ねているという話だった、と思う。いつも会う訳ではなく時折教会に現れては書きかけの物語をつまみ食いのように読んでは美しく笑って帰っていく。面白かったよ、なんてそんなことを口にして。私は長いことそれが私の幻影なのだと思っていた。幻、頭の可笑しくなった大学生が作り足したもの。でもどうやら美しい彼は本当に存在するらしかった。此処で本当に存在する、なんて馬鹿馬鹿しい表現だとは思うけれど。 でも幻と思うくらいに彼は美しくて私の欲しい言葉をくれ、教会がよく似合った。晴れた日などは差し込む光が翼のように見えたことすらある。 その彼に、私は今、叫んでいた。 「笑える話なんて私に書けると思ってるの!?」 発端は彼がいつものように教会で発した言葉だった。私はまさか彼にそんなことを言われると思っていなかったのと、やはり彼が私の幻影のように私の思っていることを的確に言葉にしてきたものだから、混乱して涙まで落とした。 「思ってるよ」 静かに彼は言う。彼は笑わない。彼は私の前では笑わない。 「君にはそれが書ける」 頭を撫でない、抱き締めない。 「先輩の言うことは信じるものだよ」 そんなことは望んでいないのに、彼は一体私に誰を見ているのだろう。 *** この先の道がどうなっていたとしても 誰に叫んでいたのかなんてもう憶えていない。ずっと過去のことだったような、つい昨日のことのような、明日のことのような、ずっと未来のことのような。ただ分かるのは叫んでいる先には誰かがいて、現の言葉を必死に受け止めているだけだと言うこと。その受け止めている誰かの代わりに隣にいるのか誰かが言葉を発して、現は余計に錯乱する。喉が擦り切れる、血の味がする。叫びすぎて喉を傷付けるなんて物語の中でだけだと思っていた。そんなことが出来るのは主人公だけだと、そう思っていた。弁明が終わって、現に残されたのは絶望だった。 「何よ…それ………」 言葉が詰まる。 「最悪じゃない!!」 代弁者が何を言ったのか分からない。それでも現にはなるほどそれは許せないとぼんやりとした他人事のような感情が残るのだ。 ―――可哀想に。 「アンタもアンタよ! 分ッかんない!! なんでそれを許してるの!?」 一体どうして、現はこんなに怒っているのだろう。いつか怒ったのだろうか、怒るのだろうか、どうして忘れているのか、どうして知っているのか。 「最悪よ」 現は言葉を吐き捨てる。 「自分のために誰かの夢を潰そうとするなんて」 *** すべて。 いつか言う時が来るのかもしれない、と思って練習している言葉がある。ふいに訪れる静寂は英のものだ。えいちゃん、と甘く呼ぶ彼のものではない。この身体は英のものではないはずなのに、田水英はどうしたって存在する。 「何処が好きなんです、僕なんかの」 「何処って…」 下田受人はとても美しい人だった。外見の話ではなく、中身の話として。 「全部、ですかね」 よくある返答だ。そんな質問させてごめんね、それと同義。答えていないのと一緒、ろくでなし。 「全部、とは」 「すべてです」 同じだろう、と思う。同じであれ、と願う。 「誰が何と言おうと、僕が君に惹かれているのは紛れもない事実なんですよ」 この身体は田水英のものではないとしても、田水英がきっとこの世界の何処にも存在しないということになっても。 例えそれが破滅の始まりだとしても。 *** 私は貴方、貴方は私。 同じものであったならどれだけ良かったことだろう! この自問自答めいた独白を用賀骸は一体何度繰り返せば良いのだろう。世界が終わるまで、なんて冗談めいて言ってみたものの、この世界に終わりはあるのか不安になるし、恐らくそんなものはない。双子の妹が、正規ルートではそこそこ幸せに生き残ることが決定しているはずの妹が、さめざめと泣いている。時折あるのだ、いつもは過激に過剰な妹がまるで間違えたルートに来てしまったかのように、間違えたルートと同期してしまったかのように。そんなクソ設計は今すぐに滅びて欲しいとすら思うけれど、元々この世界はクソ設計なので仕方がないのかもしれない。 泣かないで、とは言えなかった。だって骸の存在こそが彼女を悲しませる要因だと骸は既にその時点で理解していたから。 だからそっと抱き寄せる。 それしか、出来ないから。 *** 恋セヨ少年地獄へ落ちろ。 恋というのは素敵なものだと思っていた。砂糖菓子のように甘くてふわふわしていて壊れそうに美しくてかけがえのないもの。そんな夢を見ていた、見ていたかった。それが違うと分かったのは、分からされたのはいつだったのだろう。最初から組み込まれていたと言うのであれば、この失望や絶望と言った気持ちは一体何処から湧いてきた? 「愛していたわ」 最早名も思い出せない女が言ったのはそんな言葉だった。 それは奇麗事だったのか。 それとも? 期待を灯らせる心の殺し方は知っていた。 知っていたはずだった。 *** 死ねない僕らは永劫此処で 愛しい、いとしい、と泣く声がする。誰の声だろう、と思うと言うことはきっと本来この世界に存在し得ないものなのだろうなあ、と思う。母親だとか、父親だとか、データでしか存在しないもの。そもそも個別に存在するのではなく、各キャラクターごとにマスクデータとして設定されているのかもしれない。 声は男のものとも女のものともつかない。自分の声でないことは確かだった、自分の声であった方が面白かったのかもしれないが。流石にそんな不愉快なことは起こらないらしい。愛しい、いとしい、と泣く声はずっと続いている。こういう昔話ありそうだな、なんて考えることは他人事だ。そんなに愛しいのならば、死んでみれば良いんだ、と思った。そんなに正しいと喚くのならば、一回くらい。 そうしてそのまま、帰って来なければ。 * (そんなことはあり得ないと知っているのに!) |