最低の選択 何を言って欲しいのかずっと分かっていたはずだった、分からないふりなんてああ、今どき流行らない。そんな馬鹿馬鹿しいこと、誰が進んでやるものか。それでも人類はそれを繰り返して来たし、目先の欲ばかり満たして此処まで来た。だから、この箱庭だってそれを踏襲すべきだ。すべきだった。過去形。ずっとそうするべきだった、誰が悲しんでも、苦しんでも、死ぬことすら出来なくても。もう大丈夫だよ、と思った。 ―――もう待たない。 利木月来々は利木月来々になる。それ以外の何ものにもならない。だから、大丈夫、と叫ぶ。だから――― 「笑ってよ」 * (貴方はとても、残酷なことを言う) *** かき氷の音がする しゃくしゃく、と音がする。 「…東さん」 「おう、起きたか」 兄がいたような気がする、きっとこれは彼だって同じだろう。しゃくしゃく、夏の音だ、と思う。舌が真っ青になって、彼は笑う。子供のように笑う。もう誰の前でも初期化が出来ない彼が、一瞬だけ戻る。正常になる。 何が正常なのかなんて分からないくせして、なったふりをする。 「そろそろ起きろよ。夏休みでもあんま生活崩すと二学期辛いぞ」 「………脳みそ腐るまで寝てたい気分」 ごろり、と転がったら雑に着たティーシャツがめくれた。 *** テレパス 双子の間には不思議な能力(チカラ)が存在すると言う。それが本当だったらやっぱり彼は死ななくて良かったんじゃないか、と思う。だって現はずっと知っていたのだから、自分の代わりに動いた骸がどうなるかなんて、小さな頭でも何度も周回していればすぐに分かる。身体が覚えている。でも一回だって、骸は声に気付いてくれなかった。物理の声が出せない状況でも、本当に不思議な能力が存在するなら骸は気付いてくれても良いはずなのに、一回だってそんなことはなかった。 「…骸」 小さな身体、成長出来なかった身体。私がこうなれば良いのに、いつもそう思っているのに。 ルールは簡単、何も言わないこと。秘密にすること。ギリギリを走っても抽象的にしか言えない。大切なことはいつも、私の掌をすり抜けていく。 「私が代われれば良いのにね」 何でもない願いのはずなのに、どうしてこんなにも叶わないんだろう。 *** 殺人教唆 何を言われても嬉しくなかった。彼女の言葉はどれをとったって現を苦しめて、喚び起こされるのは過去の傷。 「ねえ、やめて」 声は届かない。記憶に、記憶という名のついた設定≠ノ住み着くトラウマ。 「もう充分でしょう?」 涙が溢れそうになる。 「黙っていてよ、でないと私、」 貴方を殺してしまう。 *** 愛、my 現が子羊を恐れるのは、彼女がひとりぼっちであるはずなのに笑っているからだった。可哀想なはずなのに、笑っているからだった。そうだ、可哀想だったはずなのだ。なのに、彼女はいつの間にか何処かへ消えてしまえって、この世界は子羊にさえ優しいように作り変えられていく。否、彼女は作り変える能力(チカラ)を持っていた。 ハッピーエンドの選択肢を選んだはずの現さえ、持ち得ない能力を持っていた。 それが恐ろしかった。この世界が現にだけ冷たすぎるようで。焦らされるような加熱が浸透していく。胸がぐるり、踊る。あの時取ったのは絶対に骸の手で、それは間違いじゃなかったはず、なのに。 ―――どうして。 愛を、求めすぎたとでも、言うの。 *** ボーダーライン さよならの仕方も知らない俺たちはきっと何処へも行けない。君とは違う生き物で人間とすら言えないかもしれなくて、ああ、本当にひどい話だ。もっと罵倒してくれ。君が君でいるために、歩いていくなら、この世界が流動することだってなかったはずなのに。ねえ、そう思うだろう? ねえ。ねえ。 ねえ。 君は。 境界線の向こう。 *** さよならをしらないこどもたち うたうことだけが、こひつじのすべて。おとなになった、おとなになりかけているこひつじができることがそのままこひつじにいどうしてくる。こひつじはこひつじではなく、そして、うつつもうつつではない。 「わたしたち、かわいそうね」 わらったら、ばかじゃないの、ときすをされた。 *** 嘘吐きになれたらよかった また死ねなかったなあ、と思うのは目の前の亡骸を目にして思うことだ。私は私のまま絶対に変わることがないのだという一つの答え。こんなふうじゃなくても良いのに、と思うけれどもきっと文句を言うことは出来ない。ずっと覚えていられたら良いのに、といつかの幻影が消えてまた笑った。ぜったいむりよ、と舌っ足らずな言い方は本当に腹が立つし、それが演技でないのだから余計に。もう見せないでくれれば良いのにこの世界はそれを許さない。今のこの気持ちを素直にそのまま言葉にしたら、切なくて苦しくて涙が溢れて、きっと君を切り裂くだろう。だから私は黙るのだ。黙すのだ。何回でも蘇る不死鳥、この世界の象徴、それが私の役割で、でもきっとそれは私の知らないこと。 「ごめんね、骸」 こんな私のお兄ちゃんで。 *** 嘘みたいに恋をしているから 美しいものになりたかった。なってほしいと言われた気がしたから。彼女の願いならば俺はそうすべきなのだと思っていた。世界は彼女だけで、でも彼女だけじゃなくて、俺は分岐路から追い出されて泣くことすら出来ずに。 「君に会うために、君に愛するために俺は生まれてきたんだ。今ならちゃん本心からそう言える。だから、ねえ、俺は今死んでも良いとそう言えるよ。後悔なんて一ミリもないよ」 この世界に美しいものなんてなかった、俺だってそうはなれなかった。醜く苦しんでもがいてそれでも生きて。これを生きて、と言っていいのか分からないけれど、それでも。満足したかった、満足していたかった。 「だから、―――×××」 返事をして。 *** 死んでもいいよ セックスが終わっていつも浮かんでくるのは後悔だった。畠野の馬鹿馬鹿しい自傷行為に巻き込まれた後悔、自傷行為なんてものから逃げられなかった自分への、止められなかった自分への、美し畠野に選ばれたのが自分であることへの、選ばれたなんて思っている自分への、畠野を美しいなんて思ってしまう自分への、抱いたり抱かれたり一貫性のない関係への、やめようと言えない、気持ち良いなんて思ってしまった、終わって欲しくないなんて願ってしまう―――好きだなんて思ってしまう、後悔。いつもの手付きで畠野が煙草を漁る。箱は空だ。さっき最後の一本を吸い終わった。それを見ていて、ああ、買ってきてやるか、と思った。だから立ち上がったのを、畠野が掴む。 手首が熱い。生きている、と思う。 こんなシステムみたいな話の中でも、熱い。 「月が、きれいですね」 震える声で為史は言った。もう畠野と呼ぶことはしなかった。 見上げた三日月はやせ細って青白くて、泣いているみたいだった。 |