報いる白い犬 「なあ、此処、何処?」 「知りませんよ。僕は貴方について来ているだけですから」 「地図は?」 「お金がもったいないって言って買わなかったのは誰です?」 「親切な人、いねえの?」 「さあ? 自分で探してください」 とても奇妙は建物配置の街。当人たちは知らないがその街のちょうど真ん中辺りを、奇妙な二人組が歩いていた。金髪碧眼の青年の名はティキリアー・セリム。黒髪丸眼鏡の少年の名はクラウン・ロッシと言う。 「この街、どんな造りしてんだよー」 「攻めにくい造りです。大昔、今はもう滅びている隣国との戦争が耐えなく、その対策として造ったものが今も尚残っているそうです。…入国の時に聞きましたよね?」 「いやオレあの時目ェ開けて寝てたから」 「要するに聞いていなかったと」 鋭いクラウンの視線から逃れるようにセリムは空を見上げて呟く。 「くそー…もっと考えて造れよ」 「考えて造ったんですよ」 クラウンの声が一段低くなったので、セリムはそれ以上街の造りについてツッコむのはやめた。 「クラちゃん」 暫く黙っていたセリムだったが、二ブロック先辺りに旅人用のホテルがあることを知ってからやっと言葉を発した。 「クラちゃーん」 クラウンは答えない。 「クラちゃんよー」 「うざいです。その名前で呼ばないでください。それに、いつ僕がファーストネームで呼んで良いって言いましたか。余所余所しく他人行儀にファミリーネームで呼んでくださいといつも言っていますよね?」 「うわ生意気。天国のお母さん、ロッシくんは育ての親に向かって暴言を吐くような子に育ってしまいました。オレにもこんな時期があったのでしょうか。なかったと思いますが。何せ十二歳の頃のオレは掃除洗濯その他諸々の家事に追われ―――」 「不幸自慢は聞き飽きました」 「不幸自慢じゃねえんだけど」 セリムの言葉を無視し、クラウンは遠くを見るような目で語り始める。 「僕は拾ってもらったことに対して、とても感謝しています。育ててくれたことに関しても同様です。ティキぽんは悪い人ではないし、強いし、僕としては誇りに思っている部分すらあります」 「そのティキぽんってやめろよ」 「だけど!」 無視は続行された。 「そのどうでもよさそうな態度だけは気に入りません! 他人にことにはすぐに首突っ込んでガタガタ抜かすくせに、自分のことに関しては…何なんですか! その無関心さ! 見てて呆れます!!」 「オレは丈夫だから良いの」 「何処がですか」 眼鏡の奥の大きな瞳に睨まれ、セリムは苦笑する。 「いざとなったらロッシが助けてくれるし」 それに対してロッシは呆れた顔をするだけだった。 「他人に頼らず生きてくださいよ」 と、その流れの中で、セリムが突然クラウンから視線を逸らす。きょろきょろと、それは何かを探しているようにも見えた。 「どうしたんですか?」 「今、犬の鳴き声が」 「飼われてる犬なんじゃないですか?」 「あ、いた」 クラウンが視線を追い掛けるが、其処には何もいない。行こう、とセリムは小さく走り出し、クラウンは慌てて追う羽目になった。 「あ、もう! ちょっと待ってくださいよ!!」 そうして暫く走ると、前を走っていたセリムが立ち止まったのが見えた。追い付いて息を整える。 「…今度は何だって言うんです」 「なんか、助けてって言われたような気がした」 「ほら! そうやってまた他人事に!!」 「まあ良いじゃんいいじゃん。それに相手犬だし」 「犬でも! です!!」 息切れも何もしていないセリムがあれ、と指差したものを見て、それからクラウンは答えた。 「犬小屋ですね」 見たままに応える。 「使われていないと思いますよ」 次に聞かれるであろう疑問の答えもまた、添えて。 「オレが見たの、白い犬だったんだよな。こういう、結構でっかいやつ」 「はあ」 「で、追い掛けて見失った訳だけど、見失った先であの小屋見つけるって、なんか出来過ぎな気がしない? 運命じゃない?」 「偶然ですね」 小屋は綺麗にされており、どんな犬が使っていたのかは分からない。セリムの言う大きな犬をクラウンは見ていないので何とも言えないが、大きな小屋だ、きっと大きな犬でも使えるだろう。 けれどもそれはすべて偶然だ。偶然なのだ。 「また変なことに首を突っ込むつもりですか? 僕を巻き込む気ですか?」 「それは…」 セリムが弁解しようとしたのだろう、口を開けたその時。 「あら、もしかして旅人さん?」 若い女性の声がした。 見上げると二階だろうか、窓から女性が覗いている。 「はい、そうです。地図を買わなかったら迷っちゃって」 「まあ。ホテルを探していたのかしら。此処からだと四ブロック先になりますよ」 「ありゃ。どっかで道間違えたかな」 「あの、もし良かったら、」 女性は微笑む。その笑みに、クラウンは何か引っかかりを感じる。 「うちでお茶でもしていきませんか? 旅人さん、何口から入って来たんです?」 「ああ、ええと…」 「西口って書いてありましたよ」 「西口から! それは疲れているでしょう。迷惑でなかったら、少し、旅のお話を聞かせてくださいな」 セリムがこちらを見てきたので、クラウンは黙って見返す。 それからセリムが女性を見上げて笑って、好意に甘えることになった。 * すみません突然上がり込んでお茶まで、と言うセリムに女性は誘ったのはこちらですから、と言った。貴婦人然とした女性だ。 「ご挨拶が遅れました。私はフェネレスト・ミーア、と申します。この久仁ではファミリーネームが先ですので、ミーアが名前になります。どうぞお好きなように呼んでくださいな」 「ではミーアさんと呼ばせていただきます。オレはティキリアー・セリム。セリムが名前なのでどうぞ名前で呼んでください」 「クラウン・ロッシです。ロッシが苗字なのでロッシでお願いします。…ミーアさん」 自己紹介のあとはお茶を飲みながらの他愛ない話だった。大体喋っているのはセリムで、クラウンは時折相槌を打つだけ。今まで訪れた国のこと、道中大変だったこと、この国の感想など。 「大変でしょう? この国は。とても入り組んでいて」 「そうでもありません…と言いたいところなのですが、既に迷っているのバレてますもんね」 えへへ、と笑うセリムを見ながら、よくもこんなに今日会ったばかりの人に笑顔を振りまけるものだと感心する。クラウンはそういうことが特に苦手だったし、今後そこそこ困らない程度になりたいとは思うものの、流石にセリムレベルにはなりたくないとも思う。 出された紅茶もお菓子も美味しかった。ミーアはとても上品な人で、クラウンがあまり喋らなくても何も言わない。セリムも楽しそうだし、序盤から迷ったにしては良い出会いをしたと思う。 けれども、何か、引っかかった。何かが違うような気がするのだ。違和感、ぴたりと当てはまるものがない気がしている。クラウンの感覚からしたら少し豪華な家、それだけのはずなのに何かが不自然、というか。同じものをセリムも感じているらしく、会話の合間に視線があちらこちらへ飛ぶ。あれは何ですか、それはもしかして、など、ちゃんと会話に織り込ませているのが流石セリムだと思う。 そして、 「旦那さん、でしょうか」 気付いた。 セリムの視線の先。部屋の隅にひっそり、隠すように置かれた小さな黒い箱。両開きの造りのその中に見えるのは若い男性の写真だった。ミーアの旦那として考えるといささか年が離れているように思えるが、あれは死んだものの写真を飾る額だったはずだ。この辺りの国ではああいったタイプが主流と聞く。 「ええ。少し先のブロックに、ならず者がいるのですが、彼らの抗争に巻き込まれて…」 「それは、お気の毒に。立ち入ったことを聞いてしまって申し訳ありません」 「いいえ。もう十年も経つのに立ち直れないなんて、お恥ずかしい話です」 「…大切なものの死は、いつまでも心に残り続けるものですよ」 セリムの慰めにミーアは少し涙を拭って笑った。 「お二人とも、今晩の宿は決まっていないのでしょう?」 「ええ、そうですが…」 「もしよかったらうちに泊まってくださいな。もっとお話が聞きたくなってしまって」 クラウンはまだ違和感の正体が分からずに、部屋を見回している。 「それは…ご迷惑ではありませんか」 「まさか! この家には私一人ですし、空き部屋もありますし、お嫌でなければどうか、話し相手になってくださいな」 「ああ」 やっと、合点する。そうして誰にも聞こえないように小さく呟いた。 「広いのに一人しかいないから変な感じがするんだ」 断る理由もないのでそのままミーアの家に泊まらせてもらうことになった。二人で一部屋使いますよ、とセリムは断ったがミーアの強い希望もあって各一部屋借りている状態である。 「ロッシ。部屋どうよ?」 「綺麗な部屋ですよ」 荷物を整理しているとセリムが入ってくる。 クラウンの綺麗という言葉は部屋そのものに向けられた訳ではなく、手入れが行き届いているという意味だった。ミーアは先程この家には自分しかいない、お手伝いさんなども雇っていないと言っていたから、これはすべてミーアが一人でやっているのだろう。それは素直に尊敬する。 「んん、まあ、そうだな」 セリムが言葉を濁して部屋を見回す。壁に掛けられた可愛らしい絵、白いピアノ、ピンクのマット、本の代わりに棚を埋めているぬいぐるみの数々。布団は先程替えられたので今は白と青の二色の落ち着いたものだが、替えられる前は赤い花が散りばめられた掛け布団に、ひらひらのレースに縁取られたピンクの枕だった。 「娘さん、でしょうか」 容易に想像出来る小さな女の子の存在。 「離れて暮らしているんでしょうか。娘さんのええと…なんて言いましたっけ、アレ」 「ムエルトだって。さっき聞いた。前の国ではモルテって呼んでたよな」 「…ああ。娘さんのムエルトは見当たりませんでしたし。ティッキー見ました?」 「そのティッキーっていうのやめろよ。オレも見てない」 「そうですか…」 なんかもやもやすんな、とセリムは言った。この国入ってから考えてばっかりな気がする、とも。まさか道に迷っていたことは考えるに入ってはいないだろうな、と思いながらクラウンは話を変えることにした。 「そっちの部屋はどうでした?」 「オレの方は多分旦那さんの部屋。綺麗だったよ。まあ、ちょっと気になるものも置いてあったけど」 「気になるもの?」 「ああ―――」 応えようとしたセリムに被せるように、ご飯が出来ましたよ、とミーアの声がする。 「はーい、今行きます」 「手伝います」 二人はそれまでの話がなかったかのように返事をして、部屋を出た。 *** |